日はまた昇る

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参院選の感想。今こそ憲法9条の『現実的』改憲を望む。

参院選の結果について

2016年7月10日、参院選が終わった。
結論からいえば、勝者なき選挙だったかなと思う。
自民党は27年ぶりの単独過半数に届かなかった。激戦が伝えられた1人区で11人の落選者がでた。野党共闘は一定の成果をあげたことを認めざるをえない。公明党は選挙巧者ぶりを発揮したが、1人区で自公共闘野党共闘に敗れたことで、自公の選挙協力の限界を示すことになった。
その一方で、注目された与党(自民+公明)におおさか維新等の改憲に前向きな勢力の議席数だが、いわゆる改憲勢力で実質的に3分の2を超えた*1。3分の2阻止を旗印にした野党連合は阻止に失敗した。
民進党野党共闘の成果は認められるものの大きく議席を減らした。共産党議席を伸ばしたもののそれほど多く議席を伸ばせなかった。おおさか維新は関西圏以外に浸透できなかった。社民党は党首が落選した。

ほとんどの党に忸怩たる思いが残る結果になったと思う。とはいえ、全体とすれば、与党の政権基盤を強くしたと思うので、完勝とまではいかないが与党勝利と呼べるかもしれない。

一方、大きく議席を減らした民進党にとっては悩ましい結果だと思う。完敗ならば野党共闘という選挙戦術を否定できた。改憲勢力の3分の2を阻止できていれば野党共闘を評価できた。結果はどちらでもなかった。民進党の選挙総括は難しいだろう。

私は、民進党は、55年体制社会党のような「なんでも反対党」ではなく、「政権交代を担える政党」を目指すべきだと思う。そのためには、声を出さない大多数の国民の声なき声を拾い上げ、それに真正面から向き合ってほしい。そうすれば、自民党の政策に心底満足しているわけではないが、自民党政権しか選択肢にないと考える多くの人々の姿とその苦悩が見えるはずだ。

国民が望んでいるのは、一に現実的で前向きな「社会保障」であり、二に現実的で前向きな「経済政策」だ。
立憲主義を守れ」とか声高に叫んでも選挙結果はついてこない。それは日本国憲法が施行後、既に69年経ち、日本国憲法の安定性を市井の人々は信じているし、事実、日本国憲法は安定しているからだ。
安保法改正を戦争法と呼び、あたかも戦争前夜のような感情的な選挙戦を展開しても、その感情論には動かされない。今回の参議院選挙は、国民の成熟性が現れた選挙結果だったと思う。

国民のコンセンサスを得る改憲が必要

国民の願いは、一に現実的で前向きな「社会保障」であり、二に現実的で前向きな「経済政策」だということは忘れてはいけない。安倍政権がまず取り組むべきは、困難を増す経済運営に全力を尽くすことだ。

改憲勢力で3分の2を確保したからといっても、改憲について白紙委任されたとは考えるべきでないだろう。とはいえ、憲政史上初めて改憲勢力で衆参両院とも3分の2を確保したことは重視したい。

国連憲章で認められている集団的自衛権の行使は、独立国として当然の権利だという点は強調しておきたい。そして、中国が荒々しく周辺国と対立している今、中国と比べて非力な日本は、同じく中国の脅威にさらされている国々と協力して中国に対するのが、唯一の現実的な対応策だと思っている。
中国の軍拡は、今後数十年以上続くということを忘れてはいけない。今でも相当の脅威なのに、20年後はどうなっているか考えてみてほしい。
20年後の中国は、間違いなく日本の自衛隊を圧倒する海軍と空軍を持つだろう*2。その状況でどうするか? 多国間の協力体制は、一朝一夕にはできない。今から時間をかけて準備しておかねば、時すでに遅しとなろう。

集団的自衛権の行使は、中長期的視点に立てば絶対に必要なものだ。だが一方で、今回の安保法改正は、相当強引なやり方だったことも認めざるをえない。それは欺瞞に満ちた日本国憲法第9条第2項をそのまま放置し続けたツケだと思う。そしてそのツケを更に将来に残すのは、賢明ではない。
改憲勢力が3分の2を確保した今こそ、将来に禍根を残さないよう改憲すべきだ。
そのためには、自民党は批判の多い自民党の『日本国憲法改正草案』を封印し、国民のコンセンサスを得られる改憲案を示して、民進党の議員も含めて同意者を増やす努力をすべきだ。

憲法第9条第2項無効論

私は、現行憲法の第9条第2項は無効な条文だと考えている。少なくとも裁判規範性はないと考えている。つまり第9条第2項に違反していると裁判を起こしても、裁判所は「統治行為論」によって判断を行わない条文だと思う。
以下にその考えを記したい。具体的に論拠を書くととても長文となるので、ここでは私の主張について概略を示すことにしたい。

概略

  • 日本国憲法は、その成立過程に問題があり、成立当初から無条件で正統なものとはいえない。
  • 憲法の正統性に対する学説は、八月革命説が主流となっているが、ポツダム宣言受諾を民衆革命と同じ効果を持つとする八月革命説はそもそも無理があり、八月革命説を否定する。
  • 日本国憲法は正統性に問題を抱えたまま発布されたと考えるべきだ。一方で正統性に問題がある日本国憲法に対し、その正統性を否定できるのは、大日本帝国憲法で主権を持つ昭和天皇だけである*3。しかし昭和天皇はその生涯を通じ、国民主権日本国憲法を遵守し尊重した。その考えと立場が確かと広く信じられた時、正統性に不備はありつつも国民主権は確定した。(この説を「天皇による主権禅譲説」と名付ける)
  • 主権者たる国民は、憲法を制定する権限を持つ唯一の存在である。国民が定めた憲法(民定憲法)だけが国民主権下では正当性を持つ。しかし日本国憲法は、欽定憲法である大日本帝国憲法の改正という手続きで制定された。日本国憲法は、その施行の当初は、形式的にも実質的にも民定憲法の要件を満たしていない。
  • 確かに日本国憲法は、主権者たる国民が直接制定、改正する機会が、施行後69年にわたり一切なかった。その事実は重いが、しかしだからといって、全ての条文について、「直接的な手段で民定されていないために正当性がない」とは言えない。日本国憲法は、その大部分の条文を国民は遵守し、その条文に基づき法律が作られ、その条文に基づき司法判断が行われている。その状態が長く続いたため、日本国憲法は、その大部分の条文について実質的に民定したと同じと考えられる。(この説を「消極的民定憲法説」と名付ける)
  • 一方で「天皇による主権禅譲説」と「消極的民定憲法説」から導かれるのは、日本の独立回復つまり主権回復時からしばらくの期間、日本国憲法はその正統性と正当性が確立していない不安定な時期があったということになる*4
  • まさに日本国憲法の正統性と正当性が確立していない時期に作られたのが「警察予備隊、現在の自衛隊」である。「警察予備隊、現在の自衛隊」を保有することは、第9条第2項で禁止される戦力保有にあたり、「警察予備隊、現在の自衛隊」は第9条第2項の条文に反する存在である。
  • 日本国憲法の正統性と正当性が確立していない時期に作られた「警察予備隊、現在の自衛隊」の存在を、国民は一貫して許容し続けてきた。そしてその状況が長期間にわたるということは、「消極的民定憲法説」に立つと戦力の保有を禁じた第9条第2項の条文を、主権者たる国民が民定したとは認めがたい。
  • 上記から、日本国憲法は概ね正統性と正当性はあると考えられる。よって無効論も否定する。但し唯一第9条第2項はその正当性を否定し無効な条文と考える。少なくとも第9条第2項には、裁判規範性はない。

概略の要約(サマリーのサマリー?)

概略を更に短く要約すると次の通り。

  • 日本国憲法は、占領、すなわち日本の主権が制限されていた時期に制定された憲法であり、主権者たる日本国民が民定した憲法ではない。
  • だが、日本国民は長らくその憲法を概ね守り続けた。その事実によって実質的に民定した憲法と同じと考えられ、正当性は認められる。
  • しかし、主権回復からの全期間、日本は第9条第2項に反する自衛隊を保持し続け国民はそれを許容した。第9条第2項だけは実質的に民定したと考えられず無効だ。

なお、「天皇による主権禅譲説」と「消極的民定憲法説」に立つと、憲法施行当初、内閣の国会解散権は第69条のみと考えられていた(1948年なれ合い解散)ものが、1953年に第7条を根拠として解散できるように解釈が変わり、そのまま定着したことも、十分説明可能だ。

主張

私は、憲法とは国民のものであり、その条文解釈は、国民が理解できるものであるべきと強く思っている。憲法憲法学者のものでもなく、政府(内閣法制局)のものでもない。国民が理解できない解釈でどうやって「立憲主義」を守ろうというのか。
上記の私の解釈は、起こったことをできる限りあるがままに評価し、できる限り理解しやすい解釈をと心がけて行った。
そうすると、たった1つの条文、第9条第2項だけはその正当性を否定せざるをえなかった。
世界有数の実力を持つ自衛隊を、憲法第9条第2項で保有を禁止する戦力ではないという解釈は無理がある。そんな一般人としての感覚は大事にしたいと思っている。その一方で、自衛隊の存在を国民は認め続けてきた。その矛盾をどう解釈するのかが重要だと思う。それは国民が理解できる解釈であるべきだ。
その観点では政府(内閣法制局)の解釈も、護憲派の主張も、欺瞞としかいいようがないと思っている。

提案したい改憲

憲法第9条第2項を巡る堂々巡りの議論から抜け出し、激動する国際環境の中で本当に必要な安全保障の議論を行うためには、私たちは、現状をそのまま認める改憲を行うべきだと思う。その観点で、私は次のような改憲案を提示したい。

現行の規定

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

私は、第9条第1項の「戦争放棄」の項の修正を行う必要性を感じていない。日本国民の全てといってもいいほど圧倒的大多数は、戦争を望んでいないと思われる。戦争の放棄は日本国憲法の重要な条文だと思う。
私は、第2項だけを改正すべきと思う。

改憲

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の規定は、我が国の平和と安全とを維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置を執ることを妨げない。
3 第2項に定める自衛のための措置を執るため、自衛隊保有する。自衛隊の最高指揮官は内閣総理大臣とする。

この改定案は、現状をそのまま認めたものだ。改憲に反対する人は、第2項の「我が国の平和と安全とを維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置」を憲法で認めることは現行の憲法を大きく毀損するものと考えるかもしれない。しかしこれは砂川事件最高裁判決で確定している判例をそのまま条文案にしただけだ。現行憲法最高裁の判断を全く変えていない。

(裁判要旨から抜粋)
四 憲法第九条はわが国が主権国として有する固有の自衛権を何ら否定してはいない。
五 わが国が、自国の平和と安全とを維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置を執り得ることは、国家固有の権能の行使であつて、憲法は何らこれを禁止するものではない。
「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定に伴う刑事特別法違反」事件の最高裁判決(刑集 第13巻13号3225頁 昭和34年12月16日)

そして、第3項で、自衛隊保有を認めているが、現状と何か変えている点は全くない。現状をそのまま認める勇気を私たち国民は今こそ持つべきだと思う。
自民党は、改憲勢力で3分の2を確保したからといって、強引に改憲へ突っ走るのではなく、野党、特に民進党とよく議論し、与野党の多数が賛同できる改憲案をまとめるべきだ。
解釈改憲が何度も繰り返されるより、解釈の余地が少ない条文に改憲した方が、「立憲主義」を守るためにはよほど有効だ。

現状を認める憲法第9条改憲を行った上で、批判の多かった「改正安保法」について、新しい憲法条文に則り、再度議論すべきと思う。
そうすれば、「立憲主義を守れ」と繰り返すだけの教条的な憲法解釈議論や、「安倍政権の暴走」というレッテル張り議論を脱し、「我が国の平和と安全とを維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置」とは何かという具体的な議論に収れんしていくだろう。その議論こそ、将来の日本の安全保障にとって本当に必要な議論だと思う。

安倍首相の自民党の総裁任期はあと2年しかない。この参議院選挙によって、安倍政権の政権基盤は強化された。それだけに、安倍政権の責任は従来にもまして重くなったと思う。
 

 

*1:改憲に前向きと思われる諸派、無所属の議員を含む。

*2:陸軍と戦略ミサイル軍は既に圧倒している。

*3:終戦時には天皇機関説は排除されていたため、ここでは天皇主権説をとる。

*4:その期間はかなり短いと考えるべきだが、それでも日本国憲法の正統性と正当性が不安定な時期があったという認識が重要である。

慰安婦問題は「最終的かつ不可逆的に」解決した

最終解決に正直とまどっている

2015年12月28日、岸田外務大臣訪韓し、韓国の尹炳世外相と慰安婦問題の解決に向け会談し合意した。
これによって、日韓両政府とも「この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認」した。これによって日韓両国の最大の懸念となっていた慰安婦問題は解決した・・・
少なくとも字面上は・・・

でも本当なのか。本当ならばとても喜ばしい。でもまだ疑心暗鬼な気分でもある。

1年半前、私は「河野談話検証で手詰まりとなった日韓両国」という投稿を書いて、慰安婦問題に対する対応として日本は次の4つを行うべきと書いた。

  • アメリカの圧力を利用する
  • 時間をかける
  • 韓国軍慰安婦に対する対応を見極める
  • 韓国のいやがる外交を行う

河野談話検証で手詰まりとなった日韓両国 - 日はまた昇る

今読み返しても概ね認識に変化はないが、1つだけ「日韓関係は手詰まりな状況であり、慰安婦問題は慰安婦の存命中に解決することは困難」という認識には誤りがあった。この点については私の不明を反省し、安倍首相と朴大統領の政治決断に対し素直に賛辞を贈りたいと思う。

合意内容を分析する

合意内容のまとめ

今回の日韓合意については、外務省のHPに日韓外相の共同記者会見の文言が掲載されている。

日韓両外相共同記者発表 | 外務省

この共同記者会見で明らかにされた合意内容は次の通り

  • 日本は「軍の関与」を明言した
  • 日本政府の「責任」を認めた
  • 責任が「法的責任」「道義的責任」かは解釈の余地を残した
  • 安倍首相は「心からおわびと反省の気持ちを表明」した
  • 韓国政府は元慰安婦の支援を目的とした「財団を設立」する
  • 日本は上記の財団に運営資金を「政府の予算」から支出する
  • 慰安婦の支援事業を「日韓両政府が協力」して行う
  • 韓国政府は在韓日本大使館前の「少女像問題の適切な解決」のため努力する
  • 日韓両政府は慰安婦問題が「最終的かつ不可逆的に解決」されることを確認する
  • 日韓両政府は慰安婦問題について国際社会で「非難・批判することは控える」

特に法的責任問題は『1965年の請求権並びに経済協力協定によって「完全かつ最終的に解決された」(同協定第2条1項)との立場を堅持する日本政府に対して、韓国政府は、「反人道的不法行為」である慰安婦問題は同協定によって解決されたとみなすことはできず日本政府の法的責任は残っている(2005年日韓会談外交文書公開の後続措置に関する民官合同委員会の発表)、との立場をとってきた。両国政府の立場変更は望めないことから、この問題で妥結点を見出すのは極めて困難であるとみられてきた』だけに、この合意は日韓両政府がギリギリまで歩み寄った結果だと思う。
この合意を非難する人は、日本か韓国かどちらかの国の主張や立場を一切認めない人であろう。

上記の『 』内の文は、下記コラムから引用
慰安婦問題、歴史的合意を待ち受ける課題 | 西野純也 | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

 

「最終的」かつ「不可逆的」解決の意味

「最終的」の意味は明確だ。今後、日韓の外交問題として慰安婦問題が提示されることはないということだ。そして日韓両国とも国際社会で慰安婦問題について相手を非難・批判しないということだ。韓国によって唯一つけられた留保は、韓国政府が設立した財団に日本政府の予算から運営資金を支出し、日韓両国が協力して支援事業を行うという点だけ。支出する金額は10億円とされ、金額面から考えてもこの実行は容易だと思われる。この「最終的」な解決は、日本側が強く望んだものだろう。
一方「不可逆的」の意味には解釈の余地がある。この文言は韓国側が要求してつけられたという報道もある。

「不可逆的」という表現を入れる問題は交渉中に韓国側が先に提起したものだという。日本の政治家が旧日本軍の慰安婦強制動員を初めて認めた河野談話(1993年)などを否定する発言を繰り返すことを念頭に置き、「もうこれ以上は言葉を変えるな」という趣旨で強調したということだ。
<韓日慰安婦交渉妥結>「不可逆的」めぐり韓日間で解釈の違い | Joongang Ilbo | 中央日報

日本における報道では「不可逆的」とは問題を蒸し返さないという意味だと捉えられているものが多い。

大切なのは、日韓共同の新基金事業を着実に軌道に乗せるとともに、韓国が将来、再び問題を蒸し返さないようにすることだ。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20151229-OYT1T50009.html

私は、「不可逆的」の意味には、今後河野談話等、過去の日本が示した認識に対する否定をしないという意味と、再び慰安婦問題を蒸し返さないという2つの意味があると解釈している。
 

韓国は本当に慰安婦問題を蒸し返さないのか?

例えば、ツィッターではこんな反応があった。推測だが、かなり多数の日本人が「政権が変わると韓国は外交上の約束を反故にするのではないか」と疑問視していると思う。


参考:慰安婦問題の最終的かつ不可逆的解決、日韓外相の合意内容よりも韓国がいつ蒸し返すかに注目集まる : 市況かぶ全力2階建

私は、この合意に関わらず、韓国が慰安婦問題を蒸し返す可能性は否定できないと思っている。
例えば、韓国の最大野党である共に民主党文在寅代表は、「この合意は無効だ」と発言している。もし文在寅氏が次の大統領選で勝利したらどう韓国が動くか自明なのではないだろうか。*1

共に民主党文在寅代表は30日、日韓に妥結された慰安婦の交渉について、「私たちは、この合意に反対し、国会の同意がなかったので、無効であることを宣言する」と述べた。
(原文は韓国語なのを自動翻訳した)
문재인 "위안부 협상, 국회 동의 없었다…무효 선언" | 연합뉴스



韓国が慰安婦問題を蒸し返したら?

文在寅氏が大統領となり、氏の発言通り「国会の同意がなかったので日韓合意は無効だ」と主張したらどうなるのだろうか? 少し予測してみたい。
 

韓国の国際関係、特に米韓関係が悪化する

今回の日韓合意については、水面下でアメリカの仲介(圧力というべきかもしれない)が行われていたと報道されている。日韓の合意形成の経過をよく知るがゆえに、合意発表から間髪入れずに「歓迎」の意を表明できたと思われる。

ケリー米国務長官は28日、日韓両国が慰安婦問題で合意したことについて、「歓迎する」との声明を発表した。
http://www.yomiuri.co.jp/world/20151229-OYT1T50014.html

今回の日韓合意は、日本と韓国両国だけでなく、アメリカの外交成果でもある。それに真っ向から歯向かう姿勢を示せば、関係が悪化しないほうがおかしいというもの。
逆に言うと、韓国がアメリカとの関係を悪化させてもよいと政治的な判断をした状況でのみ、慰安婦問題を蒸し返すことができるともいえるだろう。

蒸し返しの条件①:韓国がアメリカとの関係悪化を許容する時

 

日韓関係は決定的に壊れる

それでなくても、日本人の対韓感情はかつてないレベルで悪化している。それに追い打ちをかける行動をとれば、日本国内で韓国擁護の言説は徹底的に批判にさらされると思われる。
その結果、日韓関係は決定的に壊れる。それは政治だけでなく経済でも影響していくだろう。
逆に言うと、韓国が日本との関係を決定的に壊してもよいと政治的な判断をした状況でのみ、慰安婦問題を蒸し返すことができるともいえるだろう。

蒸し返しの条件②:韓国が日本との関係を決定的に壊してよいと判断した時

 

中国は内心では蒸し返しを歓迎する

中国は今回の日韓合意に意表をつかれたと思われる。すぐには見解を発表できなかった。
ようやくでてきた反応は、日韓合意を支持する一方、その裏に複雑な思いも見え隠れしている。

韓両政府が従軍慰安婦問題の決着で合意したことについて、中国外務省の陸慷報道局長は28日の定例記者会見で「両国関係の改善がこの地域の安定と発展に寄与することを希望する」と述べ、歓迎する意向を表明した。
http://this.kiji.is/54136296198768124?c=39546741839462401

中国は、もし韓国が合意を破り、慰安婦問題を蒸し返したら、内心では歓迎するだろうと思う。
逆に言うと、韓国が中韓関係に重きをおき、中国の支持を期待できる状況になった時、慰安婦問題を蒸し返すともいえるだろう。

蒸し返しの条件③:韓国が中韓関係を最重視した時

 

間違いなく蒸し返しのハードルは高くなった

これまで慰安婦問題をどれだけこじらせても、蒸し返しても、韓国の政治的リスクはほとんどなかった。
だが、今後、慰安婦問題を蒸し返すことによる韓国の政治的リスクは相当高いものとなった。日本とアメリカは協力して、上記の「蒸し返しの条件」が整わないように韓国との関係を構築していく必要があると思う。
 

韓国に慰安婦問題を蒸し返しさせないため日本がすべきこと

韓国という他国の行動を日本はコントロールすることはできない。だが何らかの影響を与えることは可能だと思う。そこで、韓国に慰安婦問題を蒸し返しさせないため日本がすべきことを考えてみたい。
(追記)2018/11/3
2017年に朴前大統領が弾劾され、文大統領が就任した。
韓国は、慰安婦問題を蒸し返すわけではないが、「最終的不可逆的」解決を事実上骨抜きにした。2018年現在は、中途半端な状況といえるが、韓国は、事あらば「蒸し返す」気マンマンなのは間違いないだろう。
2017年の韓国の政権交代によって、この「韓国に慰安婦問題を蒸し返しさせないため日本がすべきこと」の項は、もう無意味な記述となってしまった。
河野談話を含む日本の過去の公式見解を堅持する」の項は、2018年現在も堅持すべきと思うが、その他の項は、逆に日本が行うべきでない、あるいは動きを止めるべきものとなっている。
 

河野談話を含む日本の過去の公式見解を堅持する

「不可逆的」という語の意味を、慰安婦問題に対する日本の公式見解を変えないという意味と解釈している以上、日本がその公式見解を変えようという素振りを見せただけで韓国は強く反発してくると思う。
もし、文在寅氏のように「合意は無効」という考えを持ち、それを公約にして大統領選挙に勝って大統領になった場合、その大統領は日本の合意違反を理由に合意の無効を主張するかもしれない。
日本が先に原因を作った場合、日米関係もおかしくなる。
したがって、河野談話など日本の過去の公式見解を否定する発言を政権内部から絶対に出さないよう最大限の努力を行うべきだ。
一方、一部の政治家や民間からは、引き続き河野談話の否定を主張する発言が出てくると思われる。その際のダメージコントロール、特にマスコミ対策はしっかりやっておく必要があるだろう。
それでなくても、この合意が気に入らない左派は、安倍政権の失敗を心待ちにしている。そんな負の期待にわざわざ応えるのは愚か者だ。

第二次安倍政権になってからも、安倍自身は河野談話を引き継ぐとしてきたものの、裏では自民党を使って慰安婦の存在そのものを否定するような動きを強めてきた。
それが、今回、軍の関与、政府の責任を認め、心からのお詫びを表明したのだ。右派の目には裏切りだと映るだろうし、リベラルから見ると、大きな前進をしたように思えるのは当然だろう。
だが、これは別に、安倍首相が改心したわけではなく、たんに、アメリカの圧力に屈したというだけにすぎない。
慰安婦日韓合意でネトウヨが「安倍、死ね」の大合唱! でも安倍の謝罪は二枚舌、歴史修正主義はさらに進行する|LITERA/リテラ

 

安倍首相のお詫び文を正式に発表し国際的な評価を固める

慰安婦問題では、償い金事業で日本の首相のお詫び文書を渡していて謝罪も行っているが、国際社会にその事実が広く知られているという状況になっていない。

そこで1997年1月11日、金平輝子理事を団長とする基金の代表団がソウルのホテルなどで7人の被害者に償い金、総理の手紙、理事長の手紙をお渡ししました。
各国・地域における償い事業の内容-韓国 慰安婦問題とアジア女性基金

「日本は謝罪していない」そんな誤解が国際社会に残ったままだと、韓国はそれを奇貨として「合意の無効」を主張する理由とするかもしれない。
それを防ぐためには、元慰安婦に渡す安倍首相のお詫び文を早々に起草し、それを韓国政府に正式に届け、その内容を広く世界に発表すべきと思う。そのお詫び文の内容が合意内容に沿っていれば、この合意が世界的に評価されたように、安倍首相のお詫び文も世界的に評価される。日本を代表して内閣総理大臣の安倍首相が正式に、そして元慰安婦に個別にお詫びしたという事実を広く世界に発信したい。
 

韓国の挺対協に対する日本国内の再評価を促す

日本国内でこの日韓合意に反対する勢力のうち、気をつけるべきは2つだと思う。
1つは、河野談話を否定する主張を行う「ナショナリスト」グループだ。このグループに対する対処は上に書いた。
そしてもう1つは、韓国の韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)の主張に賛同する市民団体や支持者のグループだ。
合意発表後すぐに挺対協は非難声明を発表したが、日本の団体もすぐにそれに呼応した。

昨日の日韓外相会談を受けて挺対協から声明が発表されました。人権侵害を受けた当事者が不在の「合意」によって人権の問題を本当に解決することなどできるのでしょうか。
昨日の日韓外相会談を受けて挺対協から声明が発表されました。人権侵害を受けた当事者が... - アジア女性資料センター Asia-Japan Women's Resource Center | Facebook

日本でも最近挺対協の存在は少しずつ知られてきているが、まだ十分認知されているとはいえない。
だが韓国では、対日政策について事実上の拒否権を持つともいわれる圧力団体として存在している。その活動内容について、賛否両面から議論を行い、日本国内の再評価を促したい。
私の見るところ、挺対協がこの日韓合意の実行上、最大の障害だと思う。挺対協を深く知ることは、日韓合意を実行するためにも重要だと主張しておきたい。
 

安保上の協力体制を整える

安全保障は、慰安婦問題と全く関係がない。だが事実上、この2つはリンケージしている。
2012年6月、日韓は「日韓秘密情報保護協定」を締結寸前までいったのだが、締結の1時間前に韓国は締結を延期した。その理由としたのが慰安婦問題であった。そして今もこの協定は締結できていない。そのため日本の自衛隊と韓国軍との間の情報共有に問題が発生し、主に北朝鮮の動向情報について、日韓の間の情報共有がうまくできていないという問題が生じている。
まずはこの「日韓秘密情報保護協定」の締結に向けて、全力で取り組むべきだと思う。この協定は、韓国のみならずアメリカにも実利があり、当然日本にも実利がある。
締結を拒む理由は全くないし、日韓の安保上の協力体制が深まれば、前述の「慰安婦問題を蒸し返す条件」は整いにくくなる。
 

経済面での協力体制を作る

今回の日韓合意の背景として、中国経済の減速の影響も無視できないと思う。韓国は輸出によって経済が成り立つ国だ。これまでは中国への輸出を成長エンジンにして経済成長してきたのが、ここにきて怪しくなってきている。
具体的に言えば、韓国はTPP入りを欲していると見る。新たな経済成長のエンジンが欲しいのだ。
そこで日本は韓国のTPP入りに向けて協力体制を作るべきだ。
韓国のTPP入りは、アメリカにとっても実利があるし、当然日本も対韓国輸出増が期待できるので実利がある。経済外交はWin-Winの関係を作ることに徹したい。
なお、韓国は日本との通貨スワップ協定の再締結も望む可能性があるが、通貨スワップ協定については日本に実利がない。韓国の変化が確実なものとなるまで、通貨スワップ協定の再締結は留保すべきだと思う。
 

日韓関係は改善するか

今の日韓関係は過去最悪といっていい状況にあり、短期的にはそれよりも少し関係が改善すると思う。
問題は、中長期的に改善するかだろう。
今回の合意履行については、日本もだが、韓国により大きな責任が生じた。例えば、日本大使館前の少女像の撤去(移設)とか、挺対協等の非難をもろともせず新たに作る財団の事業を認めてくれるように元慰安婦を説得することとかだ。
正直、履行はやさしくはない。
それでも一歩ずつ前進できるか。その成否に日韓関係の改善はかかっている。
安易に改善するとは考えないほうがよい。まずは日本にも韓国にも実利のある合意をひとつずつ積み上げていくことに徹するべきだろう。欲張りは損をするというものだ。

*1:崔碩栄氏のこのツィートhttps://twitter.com/Che_SYoung/status/682014867813892096から、原記事を確認した。

分離独立運動は流血を招く(中)

お詫び

前編を書いてから、5か月あまりが経過した。
id:Mukke氏からの宿題という認識はあったが、まとまった時間がとれず伸ばしてしまった。その点、申し訳なく思う。
いまさら感は大きいのだが、宿題は宿題なので、7月以降、仕事が落ち着いてきて時間が取れるようになったこともあり少しずつ書きためている。
ようやく、中編を書きあげたので公開したい。

前編はこちら

分離独立運動は流血を招く(前) - 日はまた昇る

冷戦終結後の分離独立や自決権を持つ高度な自治を求める運動

列挙の理由

私はこの投稿のタイトルにある通り、沖縄での「分離独立運動あるいは自決権を持つ高度な自治を求める運動」が大きくなった場合、それは流血を招くと主張している。なお、これ以降は「分離独立運動あるいは自決権を持つ高度な自治を求める運動」を略して「分離独立運動」と称する。

もし将来沖縄の分離独立運動が大きくなっていったらどうなるか? 流血が生じるのか?生じないのか? それを論じるために、他の分離独立運動などの事例を分析しどうなる可能性が高いのか、推測してみようと思う。
まずこの中編では、冷戦終了後、具体的には1990年以降の25年間(たった四半世紀の事例だと強く言いたい!)での分離独立運動を列挙し、一つ一つ簡単にまとめてみたい。その後、後編で分析することにする。最初は中編、後編に分けずに書こうと思っていたが、書いてみたら文章量がとても多くなってしまい、中編、後編に分けざるをえなかった。
なお列挙した分離独立運動は、当時の新聞や雑誌の記事などでこんな運動の記事を読んだ記憶があるという、いささかおぼろげなものを頼りに調査してまとめた。割りと多く列挙できたと思うが、これで全てではないのは確かだ。但し、記憶にあるものは全部列挙し、恣意的に列挙しないように努めてはいる。*1
また分離独立や高度な自治を求める運動の起源が冷戦終結以前であっても、この25年間に何らかの動きがあったものは列挙の対象にした。
なお、ソ連崩壊時にCIS(独立国家共同体)を構成した国は、構成国全体が旧ソ連の継承国であると考え、いわゆる分離独立とは性格が異になるとして列挙の対象からはずした。一方CIS成立過程あるいは成立後、旧ソ連圏内で起こった分離独立運動は列挙の対象とした。

カテゴリー

あとで分析しやすいように、以下の通り、いくつかカテゴリー分けした。

  • 民族/部族民族主義、民族運動、あるいは部族による分離独立運動
  • 宗教:宗教や宗派の違いなど宗教的対立による分離独立運動
  • 政治体制:政治体制・イデオロギーの違いによる分離独立運動
  • 経済/資源:経済格差や資源分配に対する不満による分離独立運動

なお、上記のカテゴリーは、どれか一つを適用するのではなく、重複して適用する場合もある。

流血の有無と独立や高度な自治の達成

ひと目でわかるように、その運動で流血がない場合や、独立や高度な自治を達成した場合には、次のように記載している。

  • <流血なし>:その運動が始まってから流血がない(テロや武力抵抗、武力弾圧等による死者がいない、但し刑死は除く)場合
  • 《独立達成》:独立を達成した(領域を実効支配し国際承認を受けている)場合
  • 《自治達成》:自治を達成し運動が終焉した場合
  • 実効支配:広く国家承認は受けていないが領域を実効支配している場合

なお、戦闘が盛んに行われ、領域が流動的な場合には、実効支配とはしなかった。


東アジア

台湾(政治体制)実効支配

1950年、55年、58年など、領土(支配地域)を巡って中華人民共和国と激しく戦った台湾情勢も、冷戦終結後は比較的安定している。しかし1997年には第三次台湾海峡危機が起こったし、中華人民共和国は2005年に反分裂国家法を制定し台湾への武力侵攻の法的根拠を制定するなど、現在も一定の緊張関係がある。2014年のひまわり学生運動も記憶に新しい。
台湾は国共内戦に敗れた国民党が遷都したことが起源であり、分離独立運動によって現在の状況となったわけではないが、独立を目指す勢力もあることから列挙した。
現状の分類については、事実上の独立状態ではあるものの、国家承認している国が少ないため実効支配に分類した。

香港(政治体制)<流血なし>

1997年にイギリスは香港を中華人民共和国に返還した。返還にあたって中華人民共和国一国二制度を実施し民主主義を維持することを約束した。
しかし、2017年の行政長官選挙を実施するにあたり、中華人民共和国が行政長官候補は指名委員会の過半数の支持が必要であり候補は2、3人に限定すると決定したことにより、完全な普通選挙の実施を求めて、2014年に香港反政府デモが行われた。デモは約3ヶ月後強制排除された。

チベット(民族/部族、宗教、経済/資源)

チベット中華人民共和国の西南の山岳地帯。
1948~52年、中華人民共和国チベットに侵攻した。圧倒的な軍事力の差がありチベット中華人民共和国の支配下に入った。その後、中華人民共和国チベットへの支配強化を強め、その結果チベット仏教の指導者であるダライラマ14世は亡命した。
今もこの対立は解決していない。中華人民共和国による宗教弾圧は続いていると伝えられており、チベット人による抗議活動(武力抵抗でなく焼身自殺による抗議であることも多い)が断続的に続いている。

東トルキスタン/新疆ウィグル(民族/部族、宗教、経済/資源)

東トルキスタン/新疆ウィグルは、中華人民共和国の西の辺境地帯。
第二次世界大戦の最中、ソ連の援助によって東トルキスタン共和国が樹立されたが、中華人民共和国成立後、中華人民共和国軍が東トルキスタン領域に進駐し領有した。1955年には「新疆ウィグル自治区」となったが自治は中国共産党の指導下で行われている。ウィグル人の宗教はイスラム教であるが信教の自由は制限されていると伝えられ、多数のウィグル人が政治犯として収容されているといわれている。
対立構造は冷戦終結後も続き、2009年にはウィグル騒乱が発生した。現在も、テロなども含めて抵抗活動が続いている。


東南アジア

ミンダナオ(民族/部族、宗教、経済/資源)

ミンダナオはフィリピンの南部の島。
ミンダナオにはイスラム教の布教が進んでいた。ところがフィリピン全体はスペイン統治時代、アメリカ統治時代を通じキリスト教の布教が進み、イスラム教徒は宗教的な少数を余儀なくされた。独立闘争も失敗を続けた。その後日本統治時代を経て、日本の敗戦後フィリピンは独立したが、イスラム教徒はミンダナオでもキリスト教徒の数が増え地域の主導権も失っていった。それを不満に思ったイスラム教徒のモロ族などを中心に、ミンダナオ島西部で抵抗活動が始まった。
21世紀に入り、米比両軍の抵抗勢力掃討作戦により抵抗活動は沈静化したといわれるが、まだ紛争の再燃が危惧されている。*2

タイ深南部(民族/部族、宗教、経済/資源)

タイの最も南の地域は、イスラム教徒が多く歴史的にもシャム(タイ)とは異なった地域である。この地域を植民地としたイギリスが、対日戦の協力を求めるためにこの地域の独立の約束をしたが、戦後それを反故にしたことから独立運動がはじまった。
2004年には大規模な武力衝突が発生するなど、現在に至るまでテロ活動などが続いている。

アチェ(民族/部族、宗教、経済/資源)

アチェインドネシアスマトラ島北部の地域。
アチェは、インドネシアの中でも最も早くイスラム教の布教がすすんだ地域。オランダによる植民地化の過程でアチェは強く抵抗した。
抵抗むなしく植民地となったものの、第二次世界大戦アチェを占領した日本軍と協力体制を築き、日本の敗戦後、オランダが再植民地化をすすめようとした際、アチェはオランダの占領に強く抵抗した。
インドネシア独立後、天然ガスが発見されたもののその開発の利益は中央にとられることに対する不満が高まり、独立運動が起こった。以来、反乱、テロなどが繰り返され内乱状態にあったが、2004年のスマトラ沖地震で壊滅的な被害をうけたことでインドネシア政府と和解し、2005年和平協定が結ばれた。

東ティモール(民族/部族、宗教、経済/資源)《独立達成》

東ティモールインドネシア東部のティモール島の東部地域。
ティモール島は東部をポルトガルが、西部をオランダが植民地化した。ポルトガルカトリックの国であり、その影響もあって東ティモールカトリック教徒が多数である。日本の占領を経てオランダからインドネシアが独立してもなお東ティモールは(形式的には)ポルトガルの植民地として残った。ところが1975年インドネシア東ティモールに侵攻したことから抵抗運動が起こり、以来、ゲリラ戦法による抵抗活動が続いた。1999年国連主導の住民投票によりインドネシアの占領から解放され、2002年に独立した。

マルク(民族/部族、宗教)

マルク(旧名モルッカ)諸島はインドネシア東部の香料諸島と呼ばれた地域。中心地はアンボン。
オランダ植民地時代、マルク諸島には主にキリスト教徒が住み、オランダ植民地支配をサポートした。インドネシア独立後、この地域にイスラム教徒の移住が進み、人口が拮抗することで地域の断裂が始まった。そして双方の衝突が発生。2000年には独立を目指すキリスト教徒によるマルク主権戦線が設立され、以来、イスラム急進派との間で騒乱が繰り返されている。解決のめどはたっていない。

パプア(民族/部族、宗教、経済/資源)

パプアはインドネシア東部のニューギニア島(面積が世界2位の島)のうち、島西部の地域のこと。イリアンジャヤとも言う。
パプアはオランダの植民地で、第二次世界大戦時日本が占領した。第二次世界大戦インドネシアが独立したが、オランダはパプアをパプア人を中心とした別国家として独立させるように画策した。それに反発したインドネシアとの間で紛争となり、一旦パプアは国連の統治下に置かれたのち、インドネシアの統治下に入った。
しかし、インドネシアの軍事政権がパプア人への弾圧を始めると、それに対する抵抗運動がはじまった。
現在でも、弓矢、刀剣などによる襲撃事件が断続的に起こっている。

カチン(民族/部族)

カチン州はミャンマー北部の中国国境に面する山岳地帯。
カチン族はミャンマー建国時、政府と協力体制にあったが、ミャンマー軍事独裁になるとたもとをわかち、分離独立運動が起こり武力衝突が生じた。ながらくカチン族居住地域は中国との密輸、翡翠や麻薬などの貿易などを行い、政府の統治が及ばない半独立状態となった。
1994年和平条約が結ばれたものの、2011年には再度武力衝突が生じた。2013年に再度停戦協定が結ばれた。

カレン(民族/部族)

カレン州はミャンマー東部のタイと国境を面する地域。カレン族は他にカレン州の北にあるカヤー州にも居住する。
カレン族はカチン族とは異なり、ミャンマー建国当初から独立運動を開始した。ミャンマー軍事独裁になると各地の分離独立運動と呼応し、内戦状態となった。
1994~95年のミャンマー軍の掃討作戦により要衝を奪われた後、抵抗は小さくなっているもようだが、僅かに残る支配地域を防衛し現在に至るまで解放闘争を続けている。

ワ(民族/部族、政治体制)

ワ州は中国雲南省と接するミャンマーのシャン州の一部。黄金の三角地帯の中心地として知られ大量の麻薬が作られていた地域。
ワ族は歴史的に中国と関係が深く、国共内戦によりワ族居住地に流入した国民党軍によりケシ(麻薬)の栽培が始まった。その後中国共産党指導下にあるビルマ共産党のもとケシ栽培は続いた。
ビルマ共産党との関係は冷戦終了期に事実上消滅したが、その後もワ族は中華人民共和国の影響下にあると考えられている。1989年、ミャンマー軍政と停戦協定に合意した後は,ミャンマー国軍に協力し、「シャン州軍南部*3」との戦闘を活発化させた。

コーカン(民族/部族)

コーカン族は主にミャンマー東北部のシャン州コーカン地区に居住し、中国明朝の遺民を祖とすると考えられ、中国との繋がりが強い。
コーカン族は過去にビルマ族の支配下にはいったことがなく、ミャンマーがイギリス植民地であったころも事実上コーカン地区の実権を握っていた。
ミャンマー独立後も中華人民共和国の影響が強く、コーカン地区はビルマ共産党の本拠地とされる。ケシ(麻薬)の栽培も疑われている。コーカン族とミャンマー軍とは2009年にも武力衝突したし、武力衝突は今も続いている。*4

ロヒンギャ(民族/部族、宗教)

ロヒンギャミャンマー南西部のラカイン州に住む人々。
仏教徒が圧倒的多数を占めるミャンマーにあって、イスラム教徒であるロヒンギャミャンマー政府は不法移民とみなす。国際的にも孤立無援といえるロヒンギャは、今も迫害を受け続けている。2012年にはロヒンギャ追放運動をすすめる仏教徒と大規模な衝突があった。*5*6
ロヒンギャの場合、分離独立というより、ミャンマー政府側の民族浄化という性質の方が強いと思われる。


オセアニア

ブーゲンビル(民族/部族、経済/資源)《自治達成》

ブーゲンビルはパプアニューギニア領内東方のソロモン諸島にある一つの島。
ニューギニア島東部とソロモン諸島はドイツ植民地を経て、オーストラリアの委任統治領になった。
1975年にパプアニューギニアは独立したが、パプアニューギニア政府はブーゲンビルにある世界最大級の銅山の権益を守るため、島民を強制移住させるなどの手段を用いたことから独立運動が発生し、それが激化し内戦状態になった。
1998年、オーストラリアとニュージーランドの仲介により停戦合意が行われ、2005年に自治政府が設立された。*7


南アジア

タミル・イーラム(民族/部族、宗教)

タミル・イーラムは、スリランカ北部と東部にタミル人が建国しようとした国の名称。
スリランカは、国民の7割程度をシンハラ人が占め、2割弱をタミル人が占める。シンハラ人の大半は仏教徒であり、タミル人の大半はヒンディー教徒である。歴史的には共存してきた両民族であるが、イギリス植民地時代、イギリスが少数のタミル人を重用した統治を行っていたため、両民族の対立の根ができた。
スリランカ独立後、スリランカ政府はイギリス植民地時代とは逆に多数派であるシンハラ人優遇政策をとったことから対立が深まり、1983年に武装組織である「タミル・イーラムの虎」との間に内戦が勃発した。
以来、26年にわたって内戦が続いたが、2008年スリランカ政府軍がタミル・イーラムの虎を撃破し内戦は終了した。

カシミール(民族/部族、宗教)

カシミールはインド北部とパキスタン北東部の国境付近にひろがる山岳地域である。
インドはヒンディー教、パキスタンイスラム教という宗教対立を背景に、カシミールの帰属は長く争われてきた。
1990年代以降は、パキスタンに支援されたとみられているテロ組織によるテロが頻発するようになった。ここ数年、テロは少なくなってきたがいまだテロ組織の活動は続いている。*8

インド北東部(民族/部族、宗教)

アッサム州を中心としたインドの北東部8州にも分離独立運動がある。
ボド族という先住民族と、バングラデシュからの移民であるイスラム教徒との対立が根っこにある。それに北東部の開発にインド政府があまり関心を寄せなかったことなどにより、分離独立運動組織によるテロや、民族衝突が頻発している。*9

トライバルエリア(民族/部族)実効支配

トライバルエリア(連邦直轄部族地域)は、パキスタン北東部のパキスタンにあるどの州にも属さない地域である。国際的にはパキスタンの領域に編入されているが、パキスタン中央政府の支配はほとんど及んでいない。黄金の三日月といわれるケシ(麻薬)栽培地域の一部である。
この地域は、タリバンが活動しているとも伝えられており、タリバン支持部族や武装勢力が、パキスタン軍と政府支持部族およびアメリカ軍と断続的に交戦を行っている。

北センチネル島(民族/部族)実効支配

北センチネル島は、ベンガル湾アンダマン諸島の西にある島。国際的にはインド領とされている。
島にはセンチネル族が住んでいると言われるが有史以来、外部との交流を完全に拒んでいることからよくわかっていない。最近でも流された漁民が殺されたり、来訪する者を一切拒んでいる。
過去、インド政府は交流を試みたが成功しなかった。近年は交流を断念し、離れたところからバックアップする方針に転換した。一般人がこの島へ近づくことは禁止されている。*10*11



※ネパールでは、1996年~2006年、マオイスト(毛主義者)による内戦があったが、これは分離独立運動というより、ネパールの国王制を終焉させるという政体を巡る抵抗運動として捉えているので、ここには列挙しなかった。


中東(西アジア

タリバン(宗教)

タリバンは、ソ連アフガニスタン侵攻後の内戦の中から生まれた武装勢力
一時、アフガニスタンの大部分を支配下におき、アフガニスタンイスラーム首長国を建国したが、アメリカ同時多発テロ事件をうけてアメリカ軍を主力とする諸国連合が武力介入したことで瓦解した。以来、タリバンとアメリカ軍、アフガニスタン政府軍などとの間で、武力衝突が続いている。

ISIL(宗教、経済/資源)

ISIL(別名:ISIS、IS=イスラミックステーツ、ダーイッシュ)は、イスラム国家樹立運動を行うイスラム過激派組織である。イラクとシリア両国の国境付近を中心とし両国の相当部分を武力制圧し、国家樹立を宣言し、ラッカを首都と宣言している。但し国家承認をした国はない。
ISILは、イラク軍、シリア軍をはじめ、シリア反政府武装組織、クルド人組織などと戦っている。周辺国は、ISILに対し爆撃を実施している。ISILは捕虜や人質の殺害、奴隷化など深刻な人権侵害も行っている。

クルディスタン(民族/部族、宗教、経済/資源)

クルディスタンは、トルコ東部イラク北部、イラン西部、シリア北部とアルメニアの一部分にまたがり主としてクルド人が居住する地域のこと。
クルド人の居住領域は、フランス、イギリス、ロシアによって引かれた恣意的な国境線によって、トルコ・イラク・イラン・シリア・アルメニアなどに分断された。これが分離独立運動の基となっている。
特に人口の多いトルコ、イラクでは分離独立を求め、長年武力闘争を行っている。またISILの台頭により、ここ数年ISILとの間で激しい戦闘が続いている。*12*13

イエメン(民族/部族、宗教、経済/資源)

イエメンは、1990年に南イエメン北イエメンとが統一してできた国だが、北は主にシーア派の一派のザイド派教徒が、南はスンニ派教徒が住む。
統一後に就任した北イエメン出身の大統領が、北側に優位な政策を敷いたとして、旧南イエメン出身の副大統領派が反発し分離独立を求め、1994年には内戦が勃発した。
内戦は北側が勝利したものの、政情は安定せず、2011年にはイエメン騒乱が発生、2015年にはザイド派武装組織のフーシがクーデターを起こし、以来、フーシと、クーデターで退陣させられた暫定大統領派と、サラフィー・ジハード主義組織の「アラビア半島のアル=カーイダ」との間で、三つ巴の内乱状態となっている。

パレスチナ(民族/部族、宗教)《自治達成》

パレスチナ問題は、日本でもよく取り上げられているので、知っている人も多いと思う。この問題の遠因は遠くローマ帝国によるユダヤ人の離散に求められるかもしれない。
現在のパレスチナ問題は、現在のイスラエルの建国、すなわちパレスチナ分割を起源にする*14。以来、数度にわたる戦争が生じ、イスラエルの植民や武力侵攻とパレスチナ人の武力闘争やテロなどが頻発した。
紆余曲折の後、パレスチナ人居住区にはパレスチナ自治政府が樹立され、イスラエルとの和平の道を探ってはいるものの、近年でも、2008年にはガザ紛争が発生したし、騒乱は現在も続いている。
自治政府が樹立されているので、一応、自治達成としたが、事実上アッバース自治政府とガザ・ハマース自治政府の2つの自治政府が存在し、ガサ・ハマース自治政府はイスラエルに対する武力闘争を継続中であり、完全な自治達成には遠い状況である。

北キプロス(民族/部族、宗教)

北キプロスは、東地中海にあるキプロス島の北部地域。
キプロス島には、ギリシャ系住民とトルコ系住民が居住する。1974年ギリシャ併合賛成派によるクーデターが発生した際、トルコ系住民の保護を名目にトルコ共和国軍がキプロス島北部を占領した。
以来、キプロス島は、南部をギリシャ系(キプロス共和国)、北部をトルコ系(北キプロス・トルコ共和国、但し国家承認はトルコ共和国のみ)に分割されている。
その後も南北の紛争は続いているが、2008年南側のキプロス共和国がユーロに加入したことをきっかけに、再統一に向けた取り組みが行われている。



※1990年~1991年には、アメリカを中心とした有志国連合が、クウェートを侵攻したイラクと戦争を行った(湾岸戦争)が、これは国対国の戦いだったため、列挙しなかった。

※2001年からは、アメリカを中心とした有志国連合が、アフガニスタンタリバン政権と戦争を行ったが、これは国対国の側面が大きい戦争と考えたので、列挙しなかった。

※2003年からは、アメリカを中心とした有志国連合が、イラクフセイン政権と戦争を行ったが、これは国対国の側面が大きい戦争と考えたので、列挙しなかった。


旧ソ連の領域

バルト三国(民族/部族)《独立達成》

バルト三国は、第一次世界大戦の後ロシア帝国の支配を逃れて独立したものの、第二次世界大戦で独立を失った。戦後ソ連に編入された。
1980年代、ソ連ペレストロイカが進展すると、バルト三国では独立機運が高まった。そして1989年のベルリンの壁崩壊によって一気に独立へ動き始めた。
まず1990年3月リトアニアが独立を宣言し、次いで同年5月ラトビアが独立を宣言、エストニアも続いた。
しかしソ連バルト三国の独立を認めなかった。
リトアニアに対しては、1990年に経済封鎖を開始し、1991年には軍隊を派遣した。血の日曜日事件といわれる。
ラトビアでは、共産主義を支持する勢力が政権を転覆しようとした。
エストニアにも、軍隊を派遣する動きがあったが、民衆による人間の鎖に阻まれた。エストニアでは流血は生じなかった。
これら一連の動きは、歌う革命と呼ばれる。1991年ソ連の8月クーデターが失敗に終わりソ連が崩壊した後、国際社会はバルト三国の独立を承認した。

チェチェン(民族/部族、宗教)

チェチェン共和国は、ソ連崩壊によって成立した北コーカサス地域の国。住民は大半がチェチェン人であり、チェチェン人の大半がイスラム教徒である。
1991年のソ連崩壊後、ロシア共和国を中心として「ソビエト主権共和国連邦」の創設が合意された。しかしチェチェンでは「ソビエト主権共和国連邦」に加わらずソ連を離脱する動きを見せた。それに対しロシアは軍隊を派遣し離脱を止めようとした。
以後、1994年に第一次チェチェン紛争が、1998年に第二次チェチェン紛争が発生した。
これらの動きにより、チェチェンの独立を目指す武装勢力に、イスラム過激派の影響が増したといわれ、以来、武装組織によるテロとロシアによる報復の連鎖が続いている。

ナゴルノ・カラバフ(民族/部族、宗教)実効支配

ナゴルノ・カラバフは、南コーカサスアゼルバイジャン共和国西部にあるアルメニア人居住地域。
ソ連の崩壊に伴ってこの地方のモザイクのような民族分布の中、アゼルバイジャン人の支配を嫌いナゴルノ・カラバフアルメニア人が分離独立運動を起こした。
なお、アゼルバイジャン人はイスラム教シーア派が多く、アルメニア人はキリスト教の一派であるアルメニア使徒教会の信徒が大半である。
この地域の帰属を巡る戦いは、ナゴルノ・カラバフ戦争と呼ばれる。紛争は長期化し泥沼化している。現在は、アルメニア人勢力が実質的に領域を支配している。*15

南オセチアアブハジア(民族/部族)実効支配

南オセチアアブハジアは、ジョージア共和国(グルジア)の北部と西部に位置する。
ソ連の崩壊により、北オセチアは共和国として独立したのに対し、南オセチアは同じ時期に成立したジョージア共和国(グルジア)の一自治州となった。以来、分離独立運動が続いている。もともと南オセチアはオセット人が主であり、ジョージア共和国のジョージア人との間に民族対立があった。
一方アブハジアは、アブハジア人、アルメニア人、ジョージア人の混住地域であり、ジョージア共和国成立時にアブハジア人とジョージア人の対立が深まった。
2008年、ジョージアは、南オセチア自治州を回復しようと軍を侵攻させたが、逆にロシア軍に支援された南オセチア側が反撃しジョージア軍を押し返した。それにより事実上の独立状態となった。
アブハジア南オセチアでの動きにあわせて、ロシアの影響のもと事実上の独立状態となった。*16

クリミア(民族/部族、経済/資源)実効支配

クリミアは、黒海に面するウクライナ南部の半島。
クリミアには、ロシア人、ウクライナ人、クリミアタタール人などが居住し、その中で最も多いのはロシア人である。
1954年にフルシチョフによって、クリミアはロシアからウクライナへ帰属変更された。その後のソ連崩壊によってウクライナ共和国が成立した際、ウクライナから分離独立する動きが強まったものの、結局ウクライナ自治共和国として存続することになった。
2014年親ロシア政権に対する騒乱によってウクライナの政権が倒れると、クリミアではウクライナから分離しロシアへ帰属変更する動きが強まり、ロシア軍の援助をうけたロシア系民兵の武力蜂起によりウクライナから分離した。その後ロシアは併合を宣言したが、それを承認した国はごくわずかに留まる。
現在では、ロシア併合反対派やタタール人へ迫害が行われていると伝えられている。*17

ウクライナ東部(民族/部族、経済/資源)実効支配

紛争が起こったのは、ウクライナの東部、ドネツク州、ルガンスク州の2州。ウクライナ東部は、もともとロシア系住民が多い地域である。
2014年ウクライナ騒乱によりウクライナの親ロシア政権が倒れ暫定政権が成立すると、それを不満に思う東部地域が武装蜂起した。ロシアは否定するが、事実上ロシア軍も武力介入しているのではないかと疑われている。その後、ウクライナ政権側と親ロシア派との間で武力衝突が繰り返された。民間機の撃墜事件も起こった。
現在、政権側と親ロシア派との間で停戦合意が成立しているが、テロや武力衝突が散発していると伝えられる。*18
まもなくウクライナ東部の自治を認めるウクライナ憲法改正が行われる予定であるが、現状はその憲法改正が発効していないので、実効支配に分類した。

沿ドニエストル(民族/部族、政治体制、経済/資源)実効支配

沿ドニエストルは、ソ連崩壊後成立したモルドバ共和国の東部に位置する。ロシア人が多く住む。
ソ連が崩壊し、モルドバ共和国が成立した際、モルドバで「ルーマニア民族主義」が台頭した。モルドバモルドバ人が多く住むが、隣国であるルーマニア人とほとんど同一の民族である。そのルーマニア民族主義に反発した沿ドニエストルに住むロシア人が独立闘争を開始した。
モルドバ共和国は軍による鎮圧を試みたが、沿ドニエストルに駐留していたロシア軍が独立勢力側についたため、本格的な戦争となり、モルドバ共和国軍は撃退された。*19
以来、沿ドニエストルにはモルドバ共和国の支配は及んでいない。一方、経済封鎖は続けられており沿ドニエストルは経済的な苦境が続いている。*20



※1992年~1997年、タジキスタンでは各勢力が入り乱れて内戦が勃発した。分離独立というよりタジキスタン全土を巻き込んだ内戦になったため、分離独立の一例としては列挙しなかった。なお内戦終結後も、現在までこの対立は続いておりテロや抵抗活動が散発している。*21

※2010年、キルギスバキエフ大統領の退陣を求めて騒乱が発生した。これは分離独立運動ではなく政権交代を主張する抵抗活動と認識したので、ここでは列挙しなかった。*22


ヨーロッパ(旧ユーゴスラビアを除く)

チェコスロバキア(民族/部族)<流血なし>《独立達成》

冷戦が終結すると、それまで社会主義国であるチェコスロバキア民主化運動が活発になった。
連日30万人を超えるといわれるデモが発生し、それがストライキなどの抗議に発展した。但し、それらは全て平和的なもので、抗議活動によって一人も死者はでていない。
大規模な抵抗活動が続いたため、政権党であった共産党と市民側との間で、円滑な体制転換についての話し合いが行われ、共産党一党独裁の放棄と複数政党制の導入が合意された。ここに社会主義体制は崩壊した。ビロード革命と称される。*23
その後行われた選挙によってチェコスロバキア民主化を達成したが、チェコスロバキア双方の意見が食い違うようになり、これもまた話し合いによって、1993年、平和裏にチェコスロバキアは分離し、それぞれが独立した。*24
流血なく平和裏に分離独立を達成した、極めて稀な事柄だと思う。

北アイルランド(民族/部族、宗教)

北アイルランドは、アイルランド島の北東部にあるイギリス(グレートブリテン島及び北アイルランド連合王国)の一地域。
アイルランドは1800年の連合法によりイギリスと連合王国を築いたが、20世紀に入りアイルランド独立戦争が起こり1922年に北部6州を除く南部26州が分離し、1937年アイルランド共和国となった。
イギリスとの連合王国に残った北アイルランドでは、1960年代になり、カトリック住民とプロテスタント主体の北アイルランド政府との間が険悪化し、分離派と連合王国派による騒乱が発生した。イギリスは、北アイルランド政府を廃止し、北アイルランドを直接統治するようになったが、それ以降も、分離派、連合王国派双方がテロや攻撃を繰り返してきた。
1990年代に入り、双方の歩み寄りが見られるようになり、1998年のベルファスト合意により、事実上分離運動は集結した。とはいえその後も合意を好ましく思わない一部の人によりテロや暴力事件が散発している。*25*26

スコットランド(民族/部族、経済/資源)<流血なし>

スコットランドは、グレートブリテン島の北部地域。歴史上、グレートブリテン島の南部地域を支配するイングランドと長年戦ってきた。
1707年イングランド議会とスコットランド議会が、双方とも「連合法」を採択したことにより、以来300年以上、イングランドとの間で連合王国を形成してきた。
連合法では、イングランドスコットランドは対等という建前であったが、スコットランド側からは不満があり、1922年に連合王国からアイルランドが分離独立したことと比較しつつ、1990年代に入り、スコットランドの分離独立運動が大きな社会勢力となっていった。
特に、2000年代に入り、北海油田による恩恵がスコットランドに少ないという主張が賛同を集めはじめ、2014年には分離独立を問う住民投票が行われた。
しかし投票の結果、分離独立反対票が賛成票を上回り、独立は否定された。
賛成派も反対派も、主に経済や社会のありようを巡って論戦が行われ、宗教や民族は大きな対立点とはならなかった。*27*28

バスク(民族/部族)

バスクは、ピレネー山脈の両麓、ビスケー湾に面するスペインとフランスとにまたがる地域。分離独立運動の主体となっているのは、スペイン側である。独自の言語を持っている。
バスクは、第二次世界大戦の直前、スペイン内戦時に抑圧を受けた。ピカソの絵で有名な「ゲルニカ爆撃」もこの時期に行われている。
戦後、バスクでは分離独立運動が大きくなっていった。1959年に武装集団「バスク祖国と自由(ETA)」が結成され、爆弾テロや要人暗殺などの過激な行動を行った。1979年自治権が認められバスク自治州となったが、ETAは隣のナバラ地方やフランスの一部を含む独立を主張している。*29
2006年、ETAは停戦を宣言したが、今も緊張感は続いている。*30

カタルーニャ(民族/部族、経済/資源)<流血なし>

カタルーニャはスペイン北東部の地域。中心地は1992年にオリンピックが行われたことで有名なバルセロナ。独自の言語を持つ。
カタルーニャの独立運動は、元をたどれば1701年~1714年にハプスブルク家オーストリア)とブルボン家(フランス)との間で行われたスペイン継承戦争で、カタルーニャ自治権を失ったことに起因しているのかもしれない。
以来、カタルーニャはスペインからの独立心を保ち続けてきたといわれる。
さらに近年、2010年欧州ソブリン危機、2012年のスペイン金融危機に対するスペイン政府の対応が、カタルーニャに不利益だという不満も高まっており、独立機運に繋がっている。*31
2014年には非公式ながら独立を問う住民投票が行われ、独立賛成が多数となったと伝えられている。*32


ヨーロッパ(旧ユーゴスラビア地域)

スロベニア(民族/部族、経済/資源)《独立達成》

スロベニアは、旧ユーゴスラビア連邦の構成国のうち、イタリア、オーストリアに隣接する地域。旧ユーゴスラビアの中では経済的先進地であった。
冷戦の終結に伴う東欧の革命と、それに伴う旧ユーゴスラビア連邦の経済的苦境が表面化すると、スロベニアは連邦からの離脱を図る。
1991年にクロアチアと同時に連邦からの離脱と独立宣言を行った。
それに対し連邦政府連邦軍を派遣し、十日間戦争*33が起こった。連邦の中心であるセルビアスロベニアは国境を接しておらず、セルビアは同時に独立を宣言したクロアチアとの戦争に戦力を割かざるをえず、スロベニアの十日間戦争は散発的な戦闘が行われた後終結した。1992年、スロベニア国際連合に加盟した。

クロアチア(民族/部族)《独立達成》

クロアチアは、旧ユーゴスラビア連邦の構成国のうち、セルビアスロベニアボスニア・ヘルツェゴヴィナに囲まれる地域。一部はアドリア海に面する。
冷戦の終結に伴う東欧の革命と、それに伴う旧ユーゴスラビア連邦の経済的苦境が表面化すると、クロアチアも連邦からの離脱を図る。
そこには、セルビア民族主義に対するクロアチア人の反発が背景にある。
1991年にスロベニアと同時に連邦からの離脱と独立宣言を行った。
それに対し連邦政府連邦軍を派遣した。スロベニアは10日ほどの散発的な戦闘で終結したが、クロアチアは連邦の中心であるセルビアと隣接しており戦闘は続いた。1992年に起こったボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争ともリンクしはじめ、情勢は泥沼化した。
クロアチアは1992年国連に加盟した。そして国連国際連合保護軍を派遣したが、それでもスロベニア政府側と親セルビア勢力側との戦闘は止まなかった。
最終的にNATOの支援の下、クロアチア政府側が「嵐作戦」*34と呼ばれる軍事作戦を遂行し、親セルビア勢力側から国土の大半を奪還し、紛争は事実上終結した。

ボスニア・ヘルツェゴビナ(民族/部族、宗教)《独立達成》

ボスニア・ヘルツェゴヴィナは、旧ユーゴスラビア連邦の構成国のうち、セルビアクロアチアモンテネグロの囲まれる地域。ごく僅かネウム周辺にアドリア海に面した海岸はあるのだが大きな港はない。
1991年にスロベニアクロアチアが独立宣言を行い、独立戦争が生じたことで、ボスニア・ヘルツェゴヴィナも独立の機運が高まった。
スロベニアクロアチアカトリックスロベニア人クロアチア人が主体であるのと異なり、ボスニア・ヘルツェゴヴィナは、イスラム教徒であるボシュニャク人カトリッククロアチア人、正教のセルビア人が混住していた。
そのため独立か連邦残留かは容易に決まらず、1992年にセルビア人がボイコットする中で行われた国民投票によって独立が決まった。
以来、独立を求めるボシュニャク人クロアチア人、連邦残留を求めるセルビア人との間で戦争が生じ、泥沼化した。民族浄化(虐殺)事件も起こった。
最終的にNATOが介入し、1995年NATOの大規模な空爆によってセルビア人勢力が壊滅。国連の仲介によりデイトン合意が成立、紛争は終結した。

コソボ(民族/部族、宗教)《独立達成》

コソボは、旧ユーゴスラビア連邦の構成国のセルビアの自治州のひとつ。アルバニア共和国と面する。コソボの住民の多くは隣国のアルバニア共和国と同じアルバニア人である。宗教はほとんどがイスラム教といわれる。
コソボについては、1980年代がら抗議活動があり、それは暴力的なものと変質していった。それに対しセルビア側は自治権の剥奪と弾圧で応じた。
冷戦の終結に伴う東欧の革命が起こると、コソボも独立の機運が高まり、1990年にはコソボ共和国の独立宣言が行われたが、以来、コソボではアルバニア人勢力とセルビア人勢力との間で紛争が続いた。
1999年にはNATOによる大規模な空爆が行われた。更にNATOコソボへの陸上兵力による攻撃を企図した。その動きをうけてセルビアは、NATOが関与する国際連合主導での平和維持軍の駐留に同意し、ここにコソボ紛争は終結した。
コソボは、その後2008年に独立を宣言したものの、独立承認国は111ヶ国にとどまり、不承認国は85ヶ国にのぼる。日本はコソボの独立を承認しているので、ここでは《独立達成》に分類した。*35

モンテネグロ(民族/部族)《独立達成》

モンテネグロは、旧ユーゴスラビア連邦の構成国のうち、セルビアボスニア・ヘルツェゴヴィナと接する地域。西部はアドリア海に面し、南部にはアルバニア共和国がある。
モンテネグロは、スロベニアクロアチアボスニア・ヘルツェゴヴィナが内戦状態になる中、一貫してセルビアと歩調をあわせていた。
しかし、コソボ紛争が激化すると、アルバニア人が多いモンテネグロセルビアの関係が悪化した。
モンテネグロセルビアの対立は、EUの仲介で2国の国家連合である「セルビアモンテネグロ」が成立して一旦解決した。しかしその後実施された国民投票を経て、2006年モンテネグロは独立を宣言した。セルビアも独立を承認し、モンテネグロはEUおよび国際連合にも加盟した。*36*37

マケドニア(民族/部族)《独立達成》

マケドニアは、旧ユーゴスラビア連邦の構成国のセルビアの南に位置する地域。西はアルバニア共和国、南はギリシャ、東はブルガリアと接する。
マケドニアは、スロベニアクロアチアの独立宣言とほぼ同時に独立宣言した。
コソボ紛争が勃発すると、多数のアルバニア人が流入した。アルバニア人が増加することによってアルバニア民族主義が高まり、2001年流入したアルバニア人の武装勢力が武力蜂起した。それに対しマケドニア政府は武装勢力の掃討作戦を展開した。
その後EUの強い圧力で、アルバニア系住民の権利拡大を認める和平合意文書(オフリド枠組み合意)に調印して停戦、NATO軍が駐留を開始し平穏を取り戻した。*38


アフリカ

エリトリア(民族/部族)《独立達成》

エリトリアは、紅海に面するアフリカの北東部にある国。スーダン、エチオピア、ジブチと国境を接する。
エリトリアは、1961年から30年、エチオピアに対して独立戦争を続けていた。ソ連の崩壊により、エチオピアに対するソ連の軍事援助がなくなりエチオピアのメンギスツ政権軍の士気はさがった。その機に乗じ、エリトリア武装勢力はエチオピアの首都アジスアベバに突入、陥落させ、メンギスツを退任させた。その結果、エリトリアは1991年に独立した。1993年には国連に加盟した。
その一方、独立後もエチオピアとの間は、緊張関係にあり、1998年~2000年には国境紛争が発生した。2010年にも国境で軍事衝突が発生した。*39
国内でも独裁による弾圧が続き、エイトリア難民に対する殺害、強姦、臓器売買などが報告されており、極めて厳しい人権状況にあるとされる。*40

ソマリランド(民族/部族)実効支配

ソマリランドは、アデン湾に面するアフリカの北東部にあるソマリアの一地域。
1980年代から続く内戦でソマリア政府が崩壊し無政府状態になると、1991年にソマリランドが独立を宣言した。ソマリランドは旧イギリス領ソマリランドの西半分を支配下におく。
ソマリアはさながら戦国時代のような群雄割拠状態にあり、様々な勢力が入り乱れている状態である。
その一方、ソマリランドは比較的安定した治安を確保し、事実上の独立状態にある。民主化も順調に進んで、複数政党制による地方選挙や総選挙を実施した。しかしソマリランドを国家承認した国は今のところない。*41*42

西サハラ(民族/部族)

西サハラは、アフリカ大陸の北西部にあり、モロッコ、アルジェリアモーリタニアに接する。西は大西洋に面している。
西サハラは1884年にスペインの植民地となり、スペイン領サハラと呼ばれた。
1976年のスペインの撤退に伴い、西サハラの北部をモロッコが、南部をモーリタニアが占領した。一方西サハラの独立運動を行っていたポリサリオ解放戦線は、アルジェリアの支援のもと「サハラ・アラブ民主共和国」の独立を宣言し武力闘争を継続する。その結果南部地域からモーリタニアを撤退させたが、そこにモロッコが進駐しほぼ全域を占領する状態となった。「サハラ・アラブ民主共和国」はアルジェリアを拠点に、現在も独立闘争を続けている。*43*44

スーダン(民族/部族、宗教、経済/資源)《独立達成》

北アフリカにあるスーダンは、イギリスとエジプトとの共同統治が行われた植民地だった。北部はアラブ系のイスラム教徒、南部は土着宗教のアフリカ系住民が多く住む。
スーダンは、1956年の独立以来、主に内戦とクーデターを繰り返し、政情が安定しなかった。
2005年、22年間続き多数の死者がでた第二次スーダン内戦の包括的な暫定和平合意が成立し、南部スーダンは、南部スーダン自治政府が自治を行うことになった。
2011年、分離独立の是非を問う住民投票が実施され、分離独立賛成が多数となり、南スーダンは独立した。同年、国連にも加盟した。*45*46
独立後の政情は安定していない。2011年、2012年とスーダンとの間で国境紛争が起こったし、2013年にはクーデター未遂事件が発生し、現在も抗争が続いている。*47

ダルフール(民族/部族、宗教、経済/資源)

ダルフールスーダンの西部にある地域。ダルフールにはアラブ系だけでなく、非アラブ系のさまざまな民族が住んでいるとされる。
スーダンは、長くアラブ系を中心とする北部と、アフリカ系を中心とする南部で内乱状態にあった。その内乱が収束に向かう中、南北の合意は、ダルフールの非アラブ系の活動家には不満の残るものだった。
そのため、2003年ごろからダルフールの非アラブ系の反政府組織が、軍や警察などの拠点を襲撃するようになっていった。それに対抗して、スーダン政府は民兵組織を支援し、反政府組織の制圧を行わせた。
反政府組織と政府側民兵の相手への攻撃は、いずれ制御できない水準にエスカレートし、虐殺、略奪、強姦などが横行するようになった。
2010年、ようやく双方の停戦へ向けた協議の合意ができ、2013年、停戦が合意された。*48
停戦したとはいえ、現在でも、アラブ系、非アラブ系の衝突は頻発している。*49

マリ北部(民族/部族、宗教、経済/資源)

マリは、西アフリカに存在する内陸国家。西をモーリタニアセネガル、北をアルジェリア、東をニジェール、南をブルキナファソコートジボワール、ギニアに接する。
マリは1960年の独立以降、トゥアレグ族による反政府闘争が続いてきた。それはトゥアレグ族の居住地域が、マリ・アルジェリアニジェールに分割されて抗議の声が高まったことや、同じトゥアレグ族居住地域である隣国ニジェールのアクータ鉱山で産出するウランを巡る争いなどが原因とされる。
トゥアレグ族は、2011年のリビア内戦に参加した。その経験によって戦闘能力を高め、高性能の武器をマリに持ち帰ることにより軍事力を強化した。
2012年、トゥアレグ族を中心に結成されたアザワド解放民族運動がマリ軍駐屯地を襲撃し、トゥアレグ紛争(アザワド戦争)が勃発した。*50
それに対し、旧宗主国であるフランスは、国連決議を受けた形で欧米やアフリカ各国の軍事協力を得て、マリ政府軍とともにアザワド解放民族運動を討伐する軍事作戦(セルヴァル作戦)を遂行した。作戦によってフランス軍とマリ政府軍は、マリ北部の要衝を奪回した。その後フランス軍は撤退し、アフリカ主導マリ国際支援ミッションが治安維持にあたっている。*51*52

ボコ・ハラム(民族/部族、宗教、経済/資源)

ボコ・ハラムは、主にナイジェリア北部で活動するイスラム過激派組織である。ナイジェリアは、南部にキリスト教徒、北部にイスラム教徒が多く住む。ナイジェリア南東部には油田があり、その利権が紛争と腐敗の原因となっている。
ボコ・ハラムは、ナイジェリア政府の打倒、イスラム法の施行、西洋式教育の否定を目的として設立された。
2002年頃には、北部ナイジェリアで警察と小規模な衝突を繰り返すようになっていた。転機は2009年、警察による大規模な取締りをきっかけに、バウチ州の警察署を襲撃、その後ナイジェリア治安部隊との間で戦闘を激化させた。
近年、ボコ・ハラムは、北部住民の拉致、虐殺、強姦などの行動をエスカレートさせており、拉致した女性などの強要自爆テロなどを繰り返している。支配地域も少しずつ広がり、支配地域に対してはイスラム法による統治を行おうとしている。*53
ナイジェリアは政府内部の腐敗等の理由で、ボコ・ハラムに対して有効な対策をうてていない。*54

ウガンダ北部(民族/部族)

ウガンダは、アフリカ東部に位置する、北が南スーダン、東がケニア、南がタンザニアルワンダ、西がコンゴ民主共和国に接する内陸国である。南はビクトリア湖に面している。
ウガンダでは、1980年代以降、内戦とクーデターが繰り返しており、治安が安定していない。ウガンダ北部では、1980年代から20年以上、反政府武装組織の一つである神の抵抗軍と政府軍との間で、内戦が続いている。
神の抵抗軍は、殺害、略奪などの犯罪行為を繰り返し兵士や性的奴隷とするために子どもを誘拐している。*55*56
2000年代に入り、政府軍の攻勢により神の抵抗軍の規模は小さくなったといわれている。2006年からは停戦協議がすすめられている。まだ合意には至っていないが、治安はかなり回復したといわれる。*57



コンゴ民主共和国では、1996年~1997年、1998年~2003年と2回、ツチ族フツ族の内戦があった(コンゴ戦争)。民族対立によって生じた非常に凄惨な戦争(犠牲者が540万人といわれる)ではあるが、資源獲得と相手民族の制圧を目的としていた戦争と評価しているので、分離独立運動としては列挙しなかった。*58*59*60

中央アフリカ共和国では、クーデターが繰り返され、一時は無政府状態となった。そのため国連PKO部隊を派遣し、治安の回復に努力している過程である。ここ数年キリスト教徒とイスラム教徒の対立も激化しているとも伝えられている。この紛争は国の主導権を争う抗争の延長上にある紛争と捉えたので、分離独立運動としては列挙しなかった。*61*62

アンゴラでは1975年~2002年アンゴラ内戦が生じていたが、これは冷戦期の米ソ代理戦争としての性質が強いと考えたので、分離独立運動として列挙しなかった。これも多くの死者がでた戦争であり、この25年間の死者も百万人以上にのぼると思われる。*63

シエラレオネでは、1991年~2002年内戦が起こった。これはシエラレオネのダイヤモンド鉱山を巡る内戦の性質が大きいと考えたので分離独立運動としては列挙しなかった。*64

※いわゆるアラブの春チュニジアに始まり、エジプト、リビアで政体が変わった運動については、分離独立運動とは異なると考えたのでここには列挙しなかった。*65


アメリカ大陸

ケベック州(民族/部族、経済/資源)

ケベック州はカナダの東北部の州。旧フランスの植民地であり旧イギリスの植民地と異なった歴史と文化を持つ。カナダでは唯一フランス語を公用語としている。
1960年代には分離独立を求める諸派が集まりケベック党を結成、分離独立運動を行ってきた。1963年に登場したケベック解放戦線は、連邦施設の爆破、要人誘拐などのテロを行い、1970年非合法化された。
カナダは、長らく憲法典の改正などについてイギリス議会が権限を留保していたが、1982年憲法の制定によってカナダへ全権限が移った。これによりカナダの独立プロセスが完了した。しかしケベック州は、全州の合意が得られなくても連邦単独で憲法制定権を持つこの憲法の改正に反対し承認していない。*66
1995年、カナダ政府は、ケベック州による憲法の承認を取り付けようとしたが2度失敗したため、逆にケベックがカナダからの独立するかどうかを争う住民投票が行われた。結果は僅差で独立は否決された。

メデジン・カルテル、カリ・カルテル(経済/資源)

メデジン・カルテル*67やカリ・カルテル*68が分離独立運動かというと、それは違うと思う。
メデジン・カルテルとカリ・カルテルはコロンビアのメデジンサンティアゴ・デ・カリを拠点とする麻薬製造と密輸の犯罪組織だった。
しかし、世界を見渡すと、黄金のトライアングル地帯*69*70、黄金の三日月地帯*71のように、中央政府の支配が及ばない地域での分離運動が、麻薬製造に手を染めるケースが多くあり、それと表面上よく似ていることから列挙した。
両カルテルとも、私設武装組織を持ち、事実上コロンビア政府の統治が及ばない状況を作り、要人の誘拐、殺害などのテロなども頻発した。
しかし、1980年代後半からはじまったコロンビア政府とアメリカ政府共同による徹底した麻薬撲滅作戦(麻薬戦争とよばれ軍も投入された)によってほぼ組織は壊滅し、2002年ごろには終結した。*72


中編のまとめ

中編では、冷戦終結語、このわずか四半世紀(25年間)で起こった私の記憶のある限りの分離独立運動を列挙してみた。

分離独立運動を数だけで評価するのは分析上あまり意味のないことは重々承知しているが、それでもこの四半世紀の分離独立運動の多くでおびただしい量の血が流れたのも事実だ。この四半世紀の分離独立運動で、おそらく百万人を大きく超える人が死んだと思われる。
それにも関わらず、分離独立運動に対する世界の関心は低い。たった今も多数の人が死んでいる。そして多数の難民が発生している。
分離独立を求める根拠や緊迫度はそれぞれの運動によって全く異なると思う。でもその実態を私たちはほとんど知らない。ただ人が死に、難民が発生する。世界はその数だけにしか注目していないようにみえる。

とはいえ、世界にはチェコスロバキアのように平和裏に分離独立したケースも稀にある。
先日、分離独立の可否を巡る住民投票が行われたスコットランドのように民主的な手続きをとったケースも稀にある。

沖縄で分離独立運動が行われるとどうなのか。自決権を持つ高度な自治を求めるとどうなるのか。後編では上記の事例をもとに掘り下げて分析を書いてみたい。


(お詫び)
このペースで書いていると、後編を書き終えるのに、更に1~2ヶ月程度かかりそうだと思う。
時間がかかる点は、更にお詫びしておきたい。

*1:どうしても記憶はアジアでの分離独立運動のものが多く、遠方になればなるほど、特にアフリカの分離独立運動の把握は、あまりできていないという認識はある。

*2:ミンダナオの忘れられた戦争

*3:シャン州軍南部 | 国際テロリズム要覧(Web版) | 公安調査庁

*4:【アジアの目】ミャンマー・コーカン紛争 色濃い中国の影…工藤年博・アジア経済研究所研究企画部長 (1/3ページ) - 産経ニュース

*5:コラム:ロヒンギャ「孤立無援」のなぜ | Reuters

*6:ロヒンギャはなぜ迫害され貧困に苦しむのか 背景に人身売買組織の「難民ビジネス」

*7:ブーゲンビル島の悲劇

*8:海外安全ホームページ: テロ・誘拐情勢

*9:http://www.indas.asafas.kyoto-u.ac.jp/static_indas/wp-content/uploads/pdfs/CI2_03_kimura.pdf

*10:入ったら死あるのみ。世界一訪れるのが困難な島がある | Amp.

*11:「北センチネル島」なる世界で訪れるのが最も難しい島がスゴイ!!6万年前から続く閉鎖された島!! | コモンポスト

*12:http://www2.aia.pref.aichi.jp/koryu/j/kyouzai/PDF/katsuyo-manyual-2/siryo/G/1/4.pdf

*13:クルド人問題

*14:パレスチナ分割案/パレスチナ分割決議

*15:ナヒチェバン ナゴルノカラバフ

*16:外務省: わかる!国際情勢 Vol.7 グルジアという国 ロシアと欧州にはさまれた独立国家

*17:併合1周年クリミアの惨状 | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

*18:ウクライナ首都で親露派自治権めぐり衝突、1人死亡 120人超負傷 写真8枚 国際ニュース:AFPBB News

*19:沿ドニエストル共和国

*20:ロシアに棄てられ、瀕死の沿ドニエストル かつての西ベルリンを彷彿させる"経済封鎖"に直面 | JBpress(日本ビジネスプレス)

*21:タジキスタン国防副大臣、内務省機関を襲撃 22人死亡:朝日新聞デジタル

*22:流血革命のキルギス、内戦の懸念も 写真6枚 国際ニュース:AFPBB News

*23:チェコスロヴァキアの民主化/ビロード革命

*24:チェコスロヴァキアの連邦解消

*25:継続IRA(CIRA) | 国際テロリズム要覧(Web版) | 公安調査庁

*26:真のIRA(RIRA) | 国際テロリズム要覧(Web版) | 公安調査庁

*27:元在住者が聞いた!3分でスッキリ分かるスコットランド独立住民投票の賛否! | 牧浦土雅

*28:ここに注目! 「なぜスコットランド独立?」 | おはよう日本 「ここに注目!」 | NHK 解説委員室 | 解説アーカイブス

*29:バスク問題

*30:スペインのバスク自治州、独立機運が下火に―カタルーニャと好対照 - WSJ

*31:カタルーニャ州、スペインから独立めざす理由は? 住民投票めぐり綱引き

*32:カタルーニャ州「独立望む」が8割 非公式な住民投票:朝日新聞デジタル

*33:崩壊と戦争

*34:クロアチアから見たベルリンの壁崩壊(4)|藤村100エッセイ|ブログ|法政大学 藤村博之 WEBサイト

*35:コソヴォ問題/コソヴォ紛争/コソヴォ自治州/コソヴォ共和国

*36:モンテネグロ

*37:https://ir.lib.osaka-kyoiku.ac.jp/dspace/bitstream/123456789/596/1/2_56(1)_1.pdf

*38:マケドニア

*39:(特活)アフリカ日本協議会:アフリカNOW No.73(2006年発行)

*40:|エリトリア|圧政と悲惨な難民キャンプの狭間で苦しむ人々 - IPS Japan

*41:ソマリランド共和国

*42:http://www.ajf.gr.jp/lang_ja/activities/somalia_fact_sheet.pdf

*43:西サハラ | 国連広報センター

*44:西サハラ (サハラ・アラブ民主共和国)

*45:https://www.teikokushoin.co.jp/journals/geography/pdf/201103g/03_hsggbl_2011_03g_p03_p06.pdf

*46:内戦危機の南スーダン、誰と誰がなぜ対立してるの? | THE PAGE(ザ・ページ)

*47:建国から1年 南スーダンは希望の国から生き地獄へと化した

*48:ダルフール紛争

*49:ダルフールでアラブ系と黒人系が衝突、死者発生 スーダン 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

*50:マリ | 国際テロリズム要覧(Web版) | 公安調査庁

*51:フランスはマリで何をしているのか?―イグナシオ・ラモネ | Ramon Book Project

*52:マリにおける国連平和維持活動:その経緯 - 国連大学

*53:ボコ・ハラム | 国際テロリズム要覧(Web版) | 公安調査庁

*54:特集:豊かな原油に蝕まれるナイジェリア 2007年2月号 ナショナルジオグラフィック NATIONAL GEOGRAPHIC.JP

*55:http://www.ajf.gr.jp/lang_ja/activities/uganda_fact_sheet.pdf

*56:ウガンダ北部グル市-発展していく街角から- - 世界HOTアングル

*57:ウガンダ北部グル市-発展していく街角から- - 世界HOTアングル

*58:特集 コンゴ紛争|創成社

*59:[目撃する/WITNESS]暴力が支配するコンゴの鉱山 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト

*60:人間を傷つけるな!「第13回 世界最悪の犠牲者を出しているコンゴ民主共和国 - WEBマガジン[KAZE]風

*61:中央アフリカ共和国人道危機:果たして「宗教紛争」なのか? | OCHA Japan

*62:反政府連合に不安募らせる市民、仏大使館前で暴徒化 中央アフリカ共和国 写真2枚 国際ニュース:AFPBB News

*63:http://www.special-warfare.net/database/101_archives/africa_01/angora_01.html

*64:シエラレオネ内戦を長引かせた「紛争ダイヤモンド」 : BIG ISSUE ONLINE

*65:外務省: 「アラブの春」と中東・北アフリカ情勢

*66:国立国会図書館デジタルコレクション - ダウンロード

*67:メデジン・カルテル - Wikipedia

*68:カリ・カルテル - Wikipedia

*69:黄金の三角地帯 - Wikipedia

*70:「世界の工場」中国の次 浮上する黄金の三角地帯 :日本経済新聞

*71:黄金の三日月地帯 - Wikipedia

*72:世界の貧困を伝える旅: 巨大麻薬組織メデジンカルテルとコカインの生産と流通事情

分離独立運動は流血を招く(前)

おさらい

この投稿は気が進まない。
ただ私のブックマークコメントに対してid:Mukke氏から氏のブログでそれなりに長い文章の批判投稿をいただき、その際Mukke氏から私のブログで反論投稿するよう要求をうけ、それに応じたので書いている。
気が進まないのは、ブックマークコメントはわずか100字であるのに比し、きちんと全部書こうとすると10000字以上の長文になるからでもあるのだけど、上記の事情なのでお許しいただきたい。
要点は表題の通り。端的に言えば、私のこの長文の投稿の要点は、たった一行で済む話なのだが、それを理由づけて説明しているだけだ。*1

議論のもとになっている琉球新報の社説

Mukke氏が賛意を示した投稿を書き、それに対し私がブックマークコメントで強く非難したことからはじまる一連の議論のもとになっているのは、次の琉球新報の社説である。

確認できたことの第一は、明治政府の「琉球処分」(琉球併合)が国際法違反だったことだ。
(中略)
米軍基地は、「外交・安保は国の専管事項」を隠れみのに、いかに沖縄にとって不当であろうと強制される。多数決原理の下、日本総体としてそれを容認してきた。県という枠組みにある間、沖縄は常に強制され続けることになる。その淵源(えんげん)が琉球併合なのだ。
だとすれば、やはり自己決定権回復以外、解決の道はない。

上記の社説で、琉球新報は、琉球処分」(琉球併合)は国際法違反と断言する。その上で、米軍基地問題を解決する方策は自己決定権回復以外、解決の道はないと断言する。
琉球処分」という領土問題から論をはじめ、米軍基地という日米安保条約の問題を論じるこの文脈で「自己決定権回復」とくれば、この社説が主張する「自己決定権回復」とは「沖縄の独立」か「国の安全保障政策を拒否できるほどの強い高度な自治の獲得」という意味だと捉えるのが自然だ。
もともと琉球新報の政治報道は、大きな偏向性があると見られているが、ここまで断言的に論じる言を書いたという事実は重い。これは単なる流言蜚語の類ではない。公称ではあるが20万部の発行部数を誇る新聞の社説だ。これまでも琉球新報の記者が講演などでたびたび沖縄独立論を論じてきているし、「自治・自立・独立についての県民論議が、より深まることを期待」するといった内容の社説*2も書いてきたが、ついにここまで沖縄の独立を強く示唆する内容の社説を書くまでになったのかという思いを抱く。

Mukke氏の投稿

この社説をうけて、Mukke氏が書いた投稿は次のものだ。

わたしはヤマトンチュであり,沖縄を取り巻く植民地主義の加害者側にいる人間ですが,この社説を全面的に支持します。
(中略)
沖縄には“独立”に賛同するひとも反対するひともいるでしょうし,ヤマトにも沖縄独立がいかに不可能かを論じるひとは大勢いますが,選挙なり住民投票なりの結果に基づいて独立か日本の枠内での高度な自治かそれとも通常の県並の処遇を受けるかを選ぶこと,それ自体が民族自決権の行使なのであって,行使し得ない環境があるとすればそれは独立に反対だろうが賛成だろうが問題のはずです――少なくとも,自由と民主主義の信奉者にとっては。

Mukke氏は、エスニック問題*3に興味と関心を強く抱いていると思っている。そういう人が今の沖縄の状況をみて、先日の「スコットランド独立の是非を巡る住民投票」のような「平和裏の投票」を期待する気持ちはわかる。
ただ問題は、そういった人は期待が先に立ち、私が一番重要だと思う視点、つまり「本当に平和裏に沖縄でそんな投票ができるのか?」という安全保障上の視点を欠いている点だ。Mukke氏もしかり。琉球新報もしかり。安全保障に関する問題を論じているのに関わらず、どんなことをしても平和が崩れないことを議論の前提としている。そういった論が常に成り立つのならば、世界はどれほど幸せであったろうか?

私のブックマークコメント

もともとの琉球新報の社説が極論であると思っていたし、それに対し「全面的な支持」を表明するというのはあまりに偏った見方だと私は思った。
なので、極めて強く非難した。

沖縄の民族自決権行使を支持する - Danas je lep dan.

ブログ主のようなサヨクは自説に都合よい民族自決権なる用語を使いたがる。沖縄の意見はもっと複雑。またアマゾンやチベットパレスチナは全く異なる状況だし沖縄の状況とも異なる。それを同じと見る視野狭窄現象だ

2015/02/23 00:48

Mukke氏が腹を立てるぐらいのコメントを残そうと思ったのは後にも書いているが認めたい。字数制限がない状態でこのコメントを柔らかく書いたら次のようになるだろう。

植民地主義の加害者側」にいるという認識を持ち、「土地を一方的に収奪している」からという理由だけで、琉球新報による「沖縄の独立を主張するような極論」を「全面的に支持する」なんて、正に左翼そのものの主張だ。各種調査を見て分析する限り、沖縄の人の意見はこんな極論とは異なり、もっと複雑で穏当なものだ。アマゾンやチベットパレスチナと沖縄は、置かれている状況が全く異なる。これらを同一視するのは、自分の意見に沿う事実を意図的に集めて構成した理屈であり、自分の見たいものしか見ないいわば視野狭窄現象のようなものだ。



安保政策の主な対立点

上記の私のブックマークコメントに対し、Mukke氏から批判投稿をもらった。
わたしを左翼っつったら左翼の皆さんに失礼だと思うんだけど - Danas je lep dan.
その批判投稿に対するやり取りの中で、左翼とは何か?のような本質論ではない方向にどんどん議論がずれてしまった。それは私にも問題が多いのだが、その中で左右の基準を問われ宿題となったので、ここで一応あげておく。

安全保障政策における政治的立ち位置の評価は、現在実際に左右の対立点となっている政策をどう考えているかで判断するのが妥当だろう。
そこで、昨年行われた総選挙などで左右の対立点となっている安全保障政策の内容と、琉球新報の社説に関係した、左右の評価軸をあげてみた。

  • 憲法9条改正      (右:賛成   左:反対)
  • 集団的自衛権行使    (右:賛成   左:反対)
  • 普天間基地移転     (右:辺野古  左:国外・県外)
  • 南西諸島防衛      (右:強化   左:現状維持)
  • 琉球処分の正当性    (右:正当   左:正当でない)
  • 沖縄の独立・高度な自治 (右:認めない 左:容認する)

南西諸島防衛については、2月に与那国島への監視部隊の配備の住民投票が行われたが、それも南西諸島防衛の一環なので、配備に賛成ならば強化すべきという意見であり、配備に反対ならば現状維持という意見と考えるといいと思う。それから「民族自決権の回復」とは、とどのつまりは沖縄の独立または高度な自治を意味する。以上、2点補足説明しておきたい。

以上の通り、Mukke氏の求めに応じて、左右のメルクマールを提示したので、氏はぜひこの基準で氏自身の「安全保障政策」における自身の政治的立ち位置を確認してほしい。
Mukke氏が氏の考え全体として右派なのか左派なのかは、正直に言えば実は私にはあまり関心がない。たいていの人は政策分野ごとにそれぞれ意見を持つし、政策分野ごとに政治的立ち位置が違う人も多い。例えば経済分野では左派的だが、家族の有り様については右派的考えの人とかはごまんと存在する。
この議論の元になった社説は「領土の問題に直結する安全保障分野」の主張だと改めて認識していただきたい。
私がMukke氏に関心を寄せているのは、氏が「安全保障分野」で左右どちら側か?だけだ。

サヨクという表現

Mukke氏に対する私のブックマークコメントに、普通に漢字で「左翼」と書くのではなく、わざわざカタカナで「サヨク」と書いているのは、「揶揄」の気持ちを含んでおり、挑発なのも認める。
そういった非が私にあるので、だからこそMukke氏の要求に応じ、こうやってきちんとブログに投稿を書いている。そしてその「揶揄」についてはまず謝罪しておきたい。それは質の悪い挑発であった。
その謝罪を行った上で、次のように言っておきたい。

左派、右派ではなく、左翼、右翼と私が表現したときは、その表現に「極論を主張する人物」という「非難」を含んでいる。そこで、私が考える「安保政策における極論」とは次の通りだ。
安保政策における極論とは、その主張によって「戦争や武力行使やテロなどの暴力を呼びこむ主張」のことである。
戦争や武力行使やテロなどの暴力は流血と混乱を生む。それでも戦争や武力行使を行うべきシチュエーションとは極めて限定される。テロはいかなるシチュエーションでも容認できない。
そこで重要になるのは、Mukke氏の主張が「戦争や紛争やテロなどの暴力を呼びこむ主張」かどうかだ。それをこれから論じていく。

前篇はここまで

この後、「世界における分離独立運動」という項を書いていて時間がかかっている。
ただ、Mukke氏から投降の催促があったので、前後篇に分け書いていた分だけを前篇として投稿した。
後篇は、まだ当分後になりそうなので、どうかお許しいただきたい。
本当に仕事が忙しく、時間が割けないんだ。

*1:Mukke氏からはそれ以前に私の別のブックマークコメントに対しても批判投稿をもらっているが、そちらの方はもともとブログに書きたい内容だったので準備はしている。ただしいろいろと調べないといけない内容を含んでいるので、時間がかかっている。そのため反論の順序は逆転するが、そういった理由なので許容いただければと思う。

*2:新年を迎えて/平和の先頭にこそ立つ 自治・自立へ英知を - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース

*3:エスニック問題(エスニックもんだい)とは - コトバンク

日本人人質殺害。テロは所期の成果をあげた。

悲しくて、怒りがこみ上げる。

ISILが、2人の日本人を人質にとった。そしてその2人とも断首されて殺された。
いつ殺されたのかはわからない。
その報に接したのは、日本時間で湯川氏の殺害が1月24日夜、後藤氏の殺害が2月1日早朝だった。
生きたまま首をナイフで切断する。喉元から切る。あんな小さなナイフで首の骨を切断するのは相当時間がかかるだろう。それは苦痛を長引かせる残虐な殺し方だ。殺害された後の写真は見たくなかったがこらえて見た。2人とも断末魔の叫びをあげていた。
上の表現は控えめに書いている。
だが必要だと思ったので、敢えて書いている。
人質にオレンジ色の服を着せ砂漠にひざまずかせた上で、黒尽くめの通称「ジハード・ジョン」がナイフを持って脅しをかける映像を流した場合、ISILは、その映像に映ったオレンジ色の服を着た人質を、これまで全員斬首や生きたまま焼き殺すなど残虐な方法で殺している。一人の例外もない。そして、湯川氏も、後藤氏も、同じだった。
だから私は1月20日、湯川氏と後藤氏がオレンジ色の服を着せられてひざまずかされた映像を見た時、近いうちに斬首されるのだとぼんやりと思った。(私自身の懺悔は最後に書く)
映像は残酷だ。非難は多かろうと思うが、敢えてその場面の写真(のリンク)を載せておきたい。私たちはこの後の2人の運命を知っている。その上で以下の文章を読んでほしい。
http://prt.iza.ne.jp/kiji/world/images/150120/wor15012015530023-p2.jpg
(出典:日本人殺害めぐる首相の対応に野党から指摘続出:イザ!

一方、ISILの協力をえて作られた報道があった。彼らの実態を知るにはよい題材と思う。あわせて見ていただきたい。

ダーイッシュ(自称イスラム国) 野望の行方① 潜入取材編 - YouTube

ここに出てくるISILの戦闘員は、アッラーの名の下、異教徒を殺すと言う。彼らにとって、アサド政権、つまりアラウィー派もまた異教徒だ。そして子どもたちにもISILとその指導者に忠誠を誓わせ、聖戦での殉死を受け入れさせていく。

最初の動き:偽善とISIL援助、そして自己擁護

ISILの恐喝を受け政府は慌ただしく動き始めた。それに対する批判などは後で書く。
だが最初に私を苛立たせた動きは次の2つだ。

中田氏は、イスラムの専門家でISILとも近いのだから、通称「ジハード・ジョン」が出てきたらそれまで全ての人質が断首されたことを知っているだろう。にも関わらず中田氏はあたかも自分を使者にすれば情勢を展開できるかもしれないと期待をあおる発言をしている。それはなぜか?
あたかも自分には人質事件を解決する力があるように発言する。そしてそのためには2億ドルを間接的であってもISILに援助せよというのだ。2億ドルだぞ?240億円だ。ISILが2年間活動するに十分な資金を手に入れたら、それこそ世界にテロがはびこるではないか。
私は、この会見は偽善であり、ISILに援助を与えたいという目的が裏に隠れているのだと思った。
中には中田氏をイスラムの専門家として評価すべきと主張する人もあるようだが、イスラムの教えを学ぶなら日本に長く根付き共存を続ける穏健なイスラム、例えば東京ジャーミー(講座案内)などから教えを教わればよいのだ。中田氏のような原理主義的なイスラムイスラムの全てと思うべきではない。

次に苛立たしく思ったのは常岡氏のこの会見だ。氏の主張の要旨は「10月7日にISILへ行くために出国しようとしたが警察により止められた。それがなければ湯川氏と面会し裁判に立ち会えた。そうすれば湯川氏を解放できたかもしれない。警察は不当な逮捕をした」というものだ。
一方、後藤氏は、10月22日に日本を出国し、シリアで雇ったガイドに裏切られ、武装グループに拘束されてしまった。そして非業の死を遂げた。常岡氏と後藤氏の行動はどこが違うのか?
常岡氏もISILをよく知っているわけだから、通称「ジハード・ジョン」の恐喝映像が流されたら、その人質は全員斬首されたのは知っているだろう。その映像を見た後、後藤氏が失敗したことを、常岡氏が自分ならできると主張する根拠は何か?
私には自分に力があるように見せかけることで、逮捕を非難し自己擁護しているだけの会見にしか思えなかった。

イスラム教徒は殺されないか?

中田氏も常岡氏もイスラム教徒だ。キリスト教徒の後藤氏は殺されても、イスラム教徒の中田氏や常岡氏をISILは殺さないはずだって彼らは言いたいのかもしれない。
ISILは、自分たちの勢力をのばすため、恐喝まがいの行為によって、スンニ派の部族の協力を得て戦闘員を確保している。協力を要請された部族が協力を拒否すればその部族は皆殺しだ*1
皆殺しになった部族は同じイスラム教徒、同じスンニ派だ。
こういった私ですら知っているISILのやり方を、専門家である中田氏も常岡氏もよく知っているはずだ。
ISILの支配域に入っても安全なのは、ISILの協力者だけではないか? 上にあげた映像を見るといい。これはISILの主張をそのまま流すという協力をしている。だから取材できたと思われる。
中田氏と常岡氏はISILの協力者なのか?
当然彼らは否定している。ではこの会見の自信はどこから来るのか?


2つめの動き:なにがなんでも「安倍が悪い」

こういう動きはでてくるのだろうなと思っていたし、抗議の内容を見るとやはりこうなったかと思いつつ、こういう日本国内の不協和音は当然ISILの知るところとなる。

ISILにしてみれば、山本氏のこの発言は、自分たちの「脅し」の効果だと考えるはずだ。どうかわかってほしいのは、ISILは断首による殺人が目的ではないということだ。断首による殺人は手段であって、目的は別にある。
ISILの目的とは自分たちが敵だとみなした国に動揺を起こすことだ。山本氏の発言は、それにまんまと乗せられた発言だ。
山本氏については、人質殺害の後、更にこんな行動を行っている。

こういった一連の行動は、テロリスト擁護というメッセージを与えることになる。山本氏は理由らしき意見をブログに書いているが、それは決議に賛成しても意見表明できるものであり、棄権する理由としては取ってつけたものといえるだろう。
そして、この行動を賛美する人もでてきた。山本氏に対する非難は、非難決議の棄権という事実だけではなく、一連の行動を踏まえて行われている。問題を矮小化し擁護するのも、同類項だと思われる。

天木直人|テロ非難決議に反対する議員は一人も出てこないというのか
田中龍作ジャーナル | 十分な検証ないまま「対テロ非難決議」 山本議員のみ退席

もっとも、このような擁護記事を書く人の名前を見ると、さもありなんではあるのだが。


そして山田氏のこの記事。この記事が出たのは、湯川氏の断首の後だが、後藤氏はまだ生存しているとされている時期だ。
なぜそんな時期にこんな記事を出すのだろう。日本の言論における不協和音を起こすことは、それこそISILがテロを行う目的だとなぜわからないのだろうか。
100歩譲って、人質が皆殺しになった今、こういう言論を行うのは認めないわけではない。もう人質は帰ってこないからだ。
でも、なぜそんな微妙な時期に人質解放に全く役に立たない意見を表明する必要があるのか。テロリストを喜ばせる必要がなぜあるのか? その目的は何だというのだ?

似非平和主義

僕は山本氏やこの山田氏の「問題になることはするな、関わるな」というは考えは、似非平和主義だと思う。それは自分だけがよければ他は関係ないという「孤立主義」であり、それが自分たちに許されると考えるのは体の良い「選民思想」でしかないと思う。
この人たちの共通項は、山田氏のこの文に集約されると思う。

日本の平和外交は、いま分水嶺にある。国際紛争を武力で解決する国になるのか。敵を作り戦いに参加するか。
イスラム国を「敵」とするのか 分水嶺に立つ日本外交|山田厚史の「世界かわら版」|ダイヤモンド・オンライン

話し合いか武力行使か、こういう二元論を展開してそれ以外の答え、その中間の答えを見つけようとしない。
武力行使は止めるべきだ。であれば紛争地帯から、紛争当事国・当事組織から離れよ。主張はたったこれだけ。その結果、難民に対する援助すらやめよと説く。
これがリベラルを標榜する人たちが主張しているのだから始末が悪い。リベラルとは自由と人権を重視する考えではなかったのか。日本人だけがよければ、難民はしらんぷりか?
紛争地における人道援助を行わないことが、日本の国益になるとは到底思えない。
人道上はいわずもがなだ。人権を守ることは、大抵の場合、国益を守ることになる。
山本氏や山田氏のような、リベラルとも思えない自己中心的な発言に、右派である私も鼻白む。後藤氏の過去の実績を見ても、難民への共感と愛情が基本にあるのであって、援助しないという選択肢をよしとするはずがないではないか。


最後はこれ。安倍憎しに凝り固まって、テロリストやテロリスト擁護者を喜ばせてどうするんだ。情けなく思う。



3つめの動き:自決せよと迫る過剰な自己責任論

様々な人から過剰な自己責任論が主張された。その中でも一番醜悪なのはこれではないか。

彼女は『ヨルダンのパイロット>後藤氏>湯川氏』と命の価値に順番をつける。これを読みながら、『日本人>イスラム難民』と命の価値の差をつけた山田氏と同じだなと思った。
その上で、彼女はこう言い放つ。

不謹慎ではありますが、後藤さんに話すことが出来たら、いっそ自決してほしいと 言いたい。
大それたことをした 湯川さんと 後藤記者|デヴィ夫人オフィシャルブログ「デヴィの独り言 独断と偏見」by Ameba

この文は強烈だ。これをどう非難していいか私には言葉がない。

後藤氏は強い人だ

オレンジ色の服を着せられ、通称ジハード・ジョンの横でひざまずかされた映像を撮られた時点で、少なくとも後藤氏は自己の運命=斬首を予想しているように思える。後藤氏もまた戦場であるシリアやISILをよく知っているからだ。
自分の未来が非人道的な苦痛に満ちた斬首であることを理解し、それでも生きる可能性を探る人は真に強い人だ。映像に映る後藤氏の目はまだ諦めてはいない強さを持っていた。
私は、過酷で苦痛に満ちた最期を回避するため、弱い人間であればそういった殺され方より、自殺したいと思うのではないか?と思う。
そういう状況の人に「自決せよ」と迫る。実におぞましい人間の業だ。
そして、何よりもがっかりさせられたのは、こういったひとでなしの発言を、ツィッターなどで公言する人があまりに多かったこと。
仮に後藤氏が弱い人であったとしても、自殺するにもできない状況だったと想像することもできないのか?
ISILは残虐な殺害を世界に知らしめたいのであって、自殺されるとそれは達成できない。当然自殺できる環境に置くわけがない。そういったISILの異常性を顧みず、ただ「自決せよ」と迫る醜悪さは、言葉の限りを尽くしても言い表せない。彼らはISILと同じレベルの醜悪で残虐なひとでなしだ。

過剰な自己責任論も似非平和主義も同じ

こういった過剰な自己責任論も、似非平和主義も、面倒事に関わりたくないという底意が見え隠れする。
過剰な自己責任論は、全ての責任を人質になすりつけ、糾弾する。
似非平和主義は、全ての責任を日本政府になすりつけ、糾弾する。
主張していることは、一見正反対に見えて、中身を吟味してみれば、全く同じだ。
「お前が全て悪いのだ。だからお前がなんとかしろ。自分に迷惑をかけるな!」
そう言っているようにしか聞こえない。


4つめの動き:クソコラグランプリ

最初、クソコラグランプリの画像を見た時、私は混乱した。
私はテロ事件の時の反応は、その事件に対処している最中と、ひとまず対処が終わり議論が行われている時とで、その反応に対する評価軸を変えている。
クソコラグランプリのように、テロ事件の対処が行われている最中の反応に対する私の評価軸は次の3つだ。

  • その反応がテロリストに利していないか
  • その反応が次のテロ事件を誘発する方向に働いていないか
  • その反応がテロ事件を解決する方向に働くか

上にあげた3つの反応は、そのどれかに抵触しているので私は非難している。ただ、クソコラグランプリについては、どう評価していいか迷ってしまった。
クソコラグランプリは、明らかにこの人質事件を解決する方向には働かない。その点では批判すべき反応だ。
ところが残りの2つの基準はどうだろうか。
まずはテロリストを利するかという基準については、ISILは日本人に恐怖を与えようとしているのに対して、それを小馬鹿にして抵抗していることから、テロリストを利してはいないということになる。これは評価すべき点だ。
そして次のテロ事件を誘発する方向に働くかというと、これは働くとも働かないとも両方評価できそうだ。
私は、このクソコラグランプリに対する考えは、未だにまとめきれていない。
ここでは、批判的な意見と、肯定的な意見と両方を提示しておきたい。


総じて、日本の言論は批判寄りに、海外の言論は肯定寄りにあったように思う。興味深い現象だった。


5つめの動き:政府の対応

政府の対応については本来一番最初に書くべきものだが、説明の都合上5番めになった。
政府の対応について書く前に、私は自民支持者であり、安倍政権を支持していることを明言しておきたい。集団的安全保障に賛成し、憲法9条の改正を望んでいる。そういった右派である。
しかし、そういった右派であっても、今回の政府の対応に問題なしとはできない。以降は右派から見た政府の対応の問題点も含めて指摘したい。

なお、その前に少し付け加えておきたいことがある。
テロ事件の対応中に政府批判するのは、大抵の場合、テロリストを利する行為だと思う。だから私はそれを強く非難する。それはテロリストが相手国を乱したいという目的を持ってテロを起こすからだ。政府批判は大なり小なり国内の混乱を招く。
一方、テロ事件の対応が終われば、事件に対する対応を振り返るのは当然だし、その中には政府に対する批判もあるだろう。ただその批判も建設的であるべきだ。テロ対策に限らず、安全保障問題は政局にしてはいけない。
テロ事件の対処がひとまず終わった後の主張については、私は次の評価軸で評価する。

  • その主張がテロリストを「結果的に」擁護、支持することに繋がらないか
  • その主張が次のテロ事件を防止する方向の主張であるか

情報収拾能力の欠如

まずはこの記事から。

後藤さんは昨年10月下旬にシリア入りし、間もなく連絡が途絶えた。政府関係者によると、妻は同月末に外務省に相談。メールが届いたのはその後で、昨年12月初めに、このメールに気づいて開封した。メールには、後藤さんの身柄を預かっていることが英文で記されていた。
妻は内容の真偽を確かめるため、後藤さん本人しか知り得ない事柄についてメールでただしたところ、複数の質問に対して正しい回答が返ってきた。届いたメールのなかには、他の外国人の誘拐事件で被害者側とイスラム国側*2がやりとりした情報にたどり着くアドレスが記されたものもあり、情報の内容が過去の被害と合致したという。
後藤さん妻に20億円要求 「イスラム国」側がメール:朝日新聞デジタル

この記事から読み取れるのは、次の3点だ。

  • 後藤氏は12月初旬以前に何者かに拘束された。
  • 後藤氏は12月初旬の時点では生存している。
  • 後藤氏を拘束している者はISILを名乗っている。

そして次の記事だ。その記事から安倍首相の答弁の部分を引用したい。

安倍総理大臣は、先月20日に「イスラム国」のメンバーとみられる男が日本人2人を殺害すると話す映像が確認されたことについて、「残念ながら、われわれは、20日以前の段階では『イスラム国』という特定もできなかった」と述べました。
“人道支援表明 不適切ではない” NHKニュース

政治家の言い回しなので、「詭弁だ」と憤る人もあるだろうが、国会では微妙な答弁はこういう言い方になることが多いと思う。
この答弁で読み取れるのは、1月20日、湯川氏と後藤氏の殺害予告映像がネットに流されるまで、政府は拘束しているのがISILとまだ特定できなかったということだ。
その間、40~50日。
日本の情報収集能力の欠如は明らかだ。

1月20日以降の政府の対応

1月20日、湯川氏と後藤氏の殺害予告映像がネットに流れてからの政府の対応は、できるかぎりのことはやったと評価している。
そのテロリストとの交渉などは、テロ対策の原則を守り政府は一切説明しないし交渉の事実すら認めないだろう。そんな説明をすれば、テロリストが次のテロを起こす際、日本がどういう対応をするかという予測を容易にするからだ。その観点で、説明の一切を拒否する菅官房長官の対応は当然だと思う。菅官房長官の言を以って、政府の努力不足を指摘するのは短絡的といえよう。

一方、報道等で伝えられる情報として、政府が行ったとされる対応は主に次の3つだ。

トルコとシリアの国境で動きがあった1月28日、ヨルダン国内でもイスラム過激派組織「イスラム国」(IS=Islamic  State)が身柄を拘束するフリージャーナリスト、後藤健二さん(47)の解放交渉が進展したとする情報が駆け巡った。英国を拠点とするアラブ紙アルクッズ・アルアラビ(電子版)が同日早朝、ヨルダン当局がサジダ・リシャウィ死刑囚釈放を「決断」したと報道したからだ。
ヨルダン政府は「死刑囚の釈放決断」報道を否定する一方、水面下である人物の選定を進めていた。男は後藤さん殺害の2日前、トルコとシリアの国境に向かった。
検証・日本人人質事件:IS派閥、綱引き ヨルダン依頼「仲介役」国境へ 首相周辺「国難に直面した」

過激派「イスラム国」による邦人人質事件でトルコ政府が「信頼できる仲介者」を通じ、解放に全力を挙げていたが実らなかったと明らかにした。トルコの情報機関が後藤健二さん(47)らが拘束されていた場所も把握し、全て日本政府に情報提供していたとも語った。
トルコ、後藤さんの拘束場所把握 日本に情報伝達、外相と単独会見 - 47NEWS(よんななニュース)

複数の関係者によれば、後藤さんの妻は昨年12月、ISとみられるグループから届いた1500万ユーロ(約20億円)の身代金要求メールを開封後、英国に本部を置く危機管理コンサルタント会社に依頼し、救出に向けた交渉が始まっていた。
後藤さんを巡っては、国連がテロ目的の渡航者に対する各国の処罰義務付けなどの決議を採択した昨年9月以降、中東を活動領域としていた仕事からIS支配地域に入る可能性があるとみて公安当局が動静を追っていた。身代金要求メールについて、政府は「返信していない」と説明しているが、妻やコンサルはメールなどでやり取りをしていたとみられ、その内容や経過は外務省も把握していた。
「イスラム国」:人質事件交渉 後藤さんと死刑囚、交換目前で決裂か|毎日新聞

表のヨルダンルートと、裏のトルコルートと英国ルート。
人質解放交渉は、身代金を払うか人質交換をするかぐらいしか方策はない。結局は機能しなかったようだが裏のルートでトルコが『「信頼できる仲介者」を通じ、解放に全力を挙げていた』ことの本当の意味を推察してほしい。そういった交渉は秘密にせねばならない。対策本部をヨルダンではなくトルコに置くべきだったという批判があるが、裏のルートを秘密にし、耳目を表のルートに集めるという観点では、ヨルダンに対策本部を置いたのは合理性がある。
私は政府が正式にテロリストに身代金を払うのは絶対にやってはいけないと考えている。但し、アメリカが主張するように「家族や関係者がお金を集めて身代金を払うことも行うべきでない」と禁止することには同意しない。家族や関係者は人質の命を何よりも優先するのは当然だ。この主張を表面の通り受け止めて「新たな自己責任論」と批判しないでほしい。ぼやかして書くが、裏の世界には出どころ不明なお金というのは存在するものだ。それでも納得できないなら、一民間人が自分だけで英国の専門の危機対策コンサルタントに依頼するのがどれだけ困難なのか考えてみてほしい。それは誰の尽力であったろうか?

一方、ヨルダンとトルコの協力は、善意の協力ではあるが、国家間の協力に無償の協力はない。この事件が落ち着いてから、ヨルダンとトルコから見返りが求められるだろう。

自衛隊による在外邦人の救出の議論

この人質事件が起こってから、安倍首相は自衛隊による在外邦人の救出に向けた法整備に意欲を見せている。

1月下旬に事件が発生して以降、自衛隊による在外邦人の救出に向けた法整備に意欲を示してきたが、この日も「邦人が危険な状況に陥ったときに、受け入れ国の了承の(ある)なかで、救出も可能にする議論をこれから行いたい」と語った。
(中略)
一方、有志国連合がイスラム国に実施している空爆作戦に、日本が参加する可能性については改めて否定。空爆の後方支援を行うこともないとした。
人質殺害犯に法の裁き、自衛隊の邦人救出に意欲=安倍首相 | Reuters

今回のISILによる人質事件の場合、自衛隊による救出作戦が実行可能だったかと問うと、今の自衛隊にはその能力はなかったと思う。たぶんそれに同意する国民は多いはずだ。それなのになぜ安倍首相はミッション・インポッシブルなことをやろうとして法整備をしようとしているのだ? きっと裏があるに違いない。そう批判をうけていると思う。
私は、首相が想定しているのは、陸上自衛隊の中央即応集団麾下の特殊作戦群だろうと思っている。*3
http://www.mod.go.jp/gsdf/crf/pa/crforganization/sfg/sog.jpg
(出典:特殊作戦群) (参考:特殊作戦群 - Wikipedia
この部隊については、防衛機密だらけであり、部隊の能力がどれくらいのものか全くわからない。どんなことができるのかもわからない。
邦人が危険な状況に陥ったときに、受け入れ国の了承のもと、救出も可能にする議論自体は大いに行うべきだと思う。ただ今の情報量では可否を判断できない。議論の中で、防衛機密を確保しつつ可能かつ必要な範囲で情報を開示すべきだ。そうしなければ国民の理解は得られない。
一方、もし野党が議論を端から拒否する態度を示すなら、それは感心しない。

そして安倍首相にはきっと隠している真意があるに違いないと考える人たちは、安倍首相の真意を中東などでアメリカと共同して武力行使することだと疑っているようだ。
政府は「有志国連合がISILに実施している空爆作戦に、日本が参加する可能性については改めて否定。空爆の後方支援を行うこともない」という点を何度でも説明し、現在自衛隊が持つ特殊部隊の能力と今後の方針について、きちんと説明すべきだろう。野党も端から反対という態度ではなく、きちんと特殊部隊の作戦とはどんなものかという軍事知識を持って建設的な議論に応じてほしいと思う。
そして、産経などが主張するようなテロ対策を理由に憲法改正する議論は筋違いな主張だと思う。安倍政権が行った「集団的自衛権行使容認」の憲法解釈変更で、受け入れ国の同意があれば、自衛隊の邦人救出作戦実施は憲法上可能と考えるべきだからだ。憲法改正問題は、このテロの議論とは切り離して行うべきものと思う。

安倍首相の中東での演説

話は前後するが、安倍首相の中東訪問とそこでの演説がISILを挑発し人質事件がエスカレートしたという批判がある。
TBSによる世論調査では、62%がそう考えているようだ。

安倍総理は先月、日本人2人が拘束されていることを知りながら中東を訪問しましたが、この中東歴訪のタイミングについては、55%の人が「適切だったとは思わない」と答えています。また、中東歴訪時に安倍総理がカイロで表明した「『イスラム国』と闘う国への2億ドルの支援表明」が「イスラム国」の日本への対応を刺激したかどうか聞いたところ、62%の人が「刺激した」と答えました。
「安倍首相の中東歴訪 「時期不適切」55%」 News i - TBSの動画ニュースサイト

TBSの世論調査は、かゆいところに手が届かないところがあって、せっかく調査するならこれに加えて「ISILと闘う国への2億ドルの支援」は行うべきかを質問してほしかった。そうすれば、日本国民の考え方がかなり分析できたのにと残念に思う。
そこで、別な調査結果をみてみる。

安倍晋三首相が中東歴訪中の1月17日に表明した「イスラム国」周辺各国への2億ドル支援に関しては、「そのまま実行する」が53・8%。「縮小」は18・0%、「中止」は14・6%、「拡大」は4・7%だった。
【全国電話世論調査】「非軍事限定を」57% 対イスラム国の連携 共同通信世論調査 : 47トピックス - 47NEWS(よんななニュース)

別な世論調査をあわせて分析するのは、誤った分析を得ることもあるので慎重であるべきだが、今回は仕方ない。
この2つの世論調査をみると、日本国民全体としては、次のような世論だと考えられる。

  • 人質がいる以上、中東訪問は少なくとも延期すべきだった。
  • 首相の中東での演説は、人質がいる以上、言葉を選ぶべきだった。
  • 中東諸国に対する人道援助など非軍事援助は賛成。約束通り実施すべきだ。

この考え方、批判は、私も納得できると思う。
もっとも援助を行えば、中東訪問をせずともISILは人質を殺害しただろうと私は考えている。ただこれはIF論であり永遠にその答えはわからない。
一方、明らかに問題なのは、中東訪問を行う際、ISILが人質の殺害を予告し、最終的に斬首するという反応を起こす可能性を、政府が吟味できなかったことだろう。
それこそ、先にあげた「情報収集能力の欠如」の問題だ。情報がなければ、検討すらできない。

一方、日本では批判的な人が多いが、世界から安倍首相の中東訪問に対する非難がとても少ないことは理解しておきたい。
それは「『イスラム国』と闘う国への2億ドルの支援」を含めて、人道支援、インフラ改善支援など軍事関連を除く諸分野において、総額25億ドル相当の十分な支援を約束したことに対して、中東諸国も、欧米も歓迎しているからだ。

安倍首相の中東歴訪の成果は、日本・アラブ関係をモニターしている有識者や政治専門家の側から見れば、この上ない成功であると評された。中東地域の歴訪に対する反応は、今後、日本が中東諸国に対して人道支援、インフラ改善支援など軍事関連を除く諸分野において、総額25億ドル相当の十分な支援を約束したことから、最良の結果であると賞賛されている。
「中東メディアからの緊急レポート」 安倍首相の歴訪成功に反発か | nippon.com

全体的に言えば、安倍首相の中東外交は、大きな方針では間違っていなかった。
しかし、その功を劇的に見せたいという気持ちが過剰な表現につながり、それをテロリストに利用されてしまった。
そこに落ち度があったと思う。
中東外交は、今後、より一層の慎重さが求められる。

情報収集分析能力の向上は必須だ

今回の政府の対応については、上記の通り、情報収集能力の向上なくしては、次もまた同じ誤謬を犯すことになる。

イスラム過激派組織「イスラム国」(IS=Islamic State)による日本人人質事件に関連し、「各国の情報機関から情報の提供を受けるためには、(交換する情報が必要で)我々自身の情報収集能力を高めていかなければならない」と述べ、テロ対策のために政府の情報機能を強化することに意欲を示した。
安倍首相:情報収集能力強化の方針 外国機関との連携視野 - 毎日新聞

安倍首相もよく理解しているようだが、これがもっとも喫緊に対策しなければならない日本政府の問題だと思う。


6つめの動き:頑迷にイスラム国という表記を続けるマスコミ

日本に住むイスラム教徒の団体、あるいはトルコ大使館から次の主張が行われている。

日本のメディアにおいて「イスラム国」と称されている過激派組織の行いは、イスラームの教えとはまったく異なるものです。イスラームにおいて、テロ行為や不当な殺人、迫害は禁じられており、また女性や子どもの権利は尊重されなければなりません。
イスラム国」という名称にイスラムという語が入っているために、本来の平和なイスラームが誤解され、日本に暮らす大勢のムスリムイスラーム教徒)への偏見は大変深刻です。
「イスラム国」という名称の変更を希望します | お知らせ | 宗教法人 名古屋モスク

今回の事件でもイスラム諸国とその国民が様々な形でこの卑劣な蛮行を強く非難しました。しかし、日本のマスメディアが最近の報道のなかで、この蛮行に及んだテロ集団を「イスラム国」と表現していることが非常に残念であり、誤解を招きかねない表現であると強く認識しています。テロ集団の名称として使われるこの表現によって、イスラム教イスラム教徒そして世界のイスラム諸国について偏見が生じ、日本滞在のイスラム教徒がそれに悩まされています。いわば、これも一種の風評被害ではないかと思われます。
Büyükelçilik Duyurusu

この投稿では、引用文とこの項などやむを得ない個所を除いて、「イスラム国」を自称するテロリスト集団を、ISILと表記している。
これは次の理由からだ。

  • 日本政府がISIL(アイシル)と呼称している
  • 日本のイスラム教徒がISILかダーイッシュの表記を望んでいる
  • スンニ派最高権威のアズハルが「イスラム国」という表記は不当と声明を出した
  • それをうけて諸外国において「イスラム国」という表記を取りやめた

日本政府の公式な呼び方ではなく、日本のイスラム教徒がその表記を止めるように望み、イスラムの権威が不当だと世界に呼びかけ、世界中でその表記を止めているのに関わらず、なぜマスコミはその表記を続けるのか。理由が全くわからない。
さらに、リテラというネットメディアは、「イスラム国」という表記を続けるべきだと強弁すらしている。残念でならない。
テロリストはテロによって、相手国の内部に軋轢を生じさせ、イスラム教徒への偏見を育てようとしている。それを不満に思ったイスラム教徒からの支持をとりつけることが目的だと思われる。
なぜ日本のマスコミは、テロリストに加担するのか?


7つめの動き:イスラム教徒への脅迫

こんな報道があった。

「日本の敵だ」「出ていけ」。後藤さんの動画がインターネットで流れた一日、名古屋モスク(名古屋市中村区)に脅迫電話がかかった。ネット上には「火を放つ」と書き込みもあった。「日本に来て三十年以上たつけど、こんなことは一度もなかった」。代表役員のクレシ・アブドルワハブさん(57)が肩を落とす。
愛知県一宮市岐阜市のモスクでも片言の英語などで同様の電話があった。東京都内のマスジド大塚(豊島区)、東京ジャーミイ(渋谷区)には今のところ嫌がらせはないというが、首都圏でも緊張は高まる。
東京新聞:イスラム教徒「偏見やめて」 モスクに脅迫電話:社会(TOKYO Web)

無知ゆえの偏見。とても残念だ。
上にも書いたが、テロリストはテロによって、相手国の内部に軋轢を生じさせ、イスラム教徒への偏見を育てようとしている。それを不満に思ったイスラム教徒からの支持をとりつけることが目的だと思われる。
こういう反応こそ、テロリストが望んだ反応だ。
こんな反応を行う人間こそ、「日本の敵だ」。


8つめの動き:在日イスラム教徒の反応

1月7日、フランスで、シャルリー・エブド襲撃事件が起こった直後、トルコ大使館直属のモスクを運営する東京ジャーミーは次の文章をHPに掲載した。

イスラームの観点から、テロはどのようなものであれ認められるものではありません。なぜならイスラームでは人の生命、尊厳、信仰、財産は不可侵のものであると教えているからです。テロはその中でも最も価値ある人の命を標的としています。クルアーンでは、「人を殺した者、地上で悪を働いたという理由もなく人を殺す者は、全人類を殺したのと同じである」(食卓章第 32 節)と述べられています。
イスラムはテロを認めていません。 | 東京ジャーミー・トルコ文化センター

そして、1月20日、ISILによる日本人人質殺害予告の映像が流れると、名古屋モスクなど多くのイスラム教徒やその団体が意見を表明した。

イスラーム教の聖典クルアーンコーラン)にはこうあります。
【人を殺した者、地上で悪を働いたという理由もなく人を殺す者は、全人類を殺したのと同じである。人の生命を救う者は、全人類の生命を救ったのと同じである。】(食卓章5:32)
日本人お二人の方が拘束された事件に、深い悲しみを感じています。
このような卑劣な行為は、イスラームにおいて明らかな犯罪であり、世界中のイスラーム学者やイスラーム団体がテロ組織ISIL(アイシル)に対して厳しく非難してきたものです。
日本人殺害警告に関するコメント | お知らせ | 宗教法人 名古屋モスク

こういった反応を、日本でのイスラム教徒への偏見の増大を恐れたためのいわば踏絵とみる見方もある。こういった文章を公開する目的に、偏見を持たないでほしいというイスラム教徒の願いは確かにある。そう書いている。その一方で、これらの内容は、イスラムの休日である金曜礼拝におけるホトバ(説教)の内容そのままでもある。つまりこれは日本に住むイスラム教徒に対しても、大事なことであり伝えなければならないこととイマーム(指導者)が考えているのだと思う。それはそれだけイスラム教徒にとって、真の穏健なイスラムの教えを学ぶ上で、切実で重要なことと考えられているのだろうと思う。
私たちは、この2つの視点の両方を持っておくべきだろうと思う。

私たちは、日本にねづき、平和に共存している穏健なイスラム教徒の存在をきちんと認識し、そういった人たちとISILなどのテロリストと区別しないといけない。
そして次のような動きを歓迎したい。少なくとも心の中では穏健なイスラム教徒への応援と共感を持ちたいと思う。
http://www.tokyocamii.org/wp/wp-content/uploads/JapanFlower-400x266.jpg
(出典:ありがとう日本! | 東京ジャーミー・トルコ文化センター

イスラムの問題点

一方で、日本にはイスラムへの疑義を感じている人は多数いる。
それはイスラム教徒の側もよく認識していると思う。例えば、上記にあげた文章の中に、次の一節がある。

ただしユダヤ教キリスト教、あるいはイスラームの歴史において、宗教がテロや暴力行為を正当化するために利用されてきたことは、しばしば見受けられることです。特に 20 世紀の最後の4 半世紀では、世界中で宗教的な熱狂が高まる風潮が見られ、宗教的行為が社会状況に直面する中で、宗教的な意味づけを持ったテロや暴力が急増していることがわかります。
イスラムはテロを認めていません。 | 東京ジャーミー・トルコ文化センター

本当に残念なことに、宗教がテロや暴力行為を正当化するために利用されることが多くなってきている。
それはイスラムだけでなく、ユダヤ教キリスト教もそうだ。仏教もミャンマーイスラム教徒への攻撃を正当化する過激な僧侶がいる。他の宗教にもいる。
大事なことは、テロや暴力行為を正当化するために利用される解釈、考え方は、どんな宗教であろうと「悪」なのだということだ。
イスラムにも、テロや暴力行為を正当化するために利用される解釈、考え方が存在する。

12月28日に、敬虔なイスラム教徒として知られるエジプトのシシ大統領が、スンニ派の最高権威とされるアズハル大学で、アズハル大学総長をはじめとする権威ある多くのイスラム学者を前にして、次のような演説を行った。*4

「私たちの信仰に問題があるわけではありません。問題は考え方(al-fikr)にあるのです」
「私たちは、私たちが直面していることをよく立ち止まって考える必要があります。実際、私は、すでに数度にわたってこの話題について話をしています。私たちが最も神聖なものを有していると考えること自体が、ウンマイスラム世界)全体を、ほかの世界の全てにとって、懸念や危険、殺人、そして破壊の原因としてしまっているのです。あり得ないことです」
「私はここで宗教(al-din)のことを言っているのではなく、考え方のことなのです。私たちが過去何世紀にわたって神聖と考えてきた聖典や観念からほとんど逸脱できないと考えることが、世界の全てを混迷に陥れているのです。文字通り世界中をです」
「16億人の人々(イスラム教徒)が、そのほかの全ての人類、すなわち70億人を殺して、自らだけが生きていけるとでも思っているのでしょうか。あり得ないことです」
(中略)
「私は繰り返します。私たちには、宗教革命(al-thaura al-diniyya)が必要です。あなた方、宗教指導者は神の前に責任があります。世界中、繰り返しましょう、世界中が、あなた方が次に動くことを、あなたがたの言葉を待っています。なぜなら、この世界(ウンマイスラム世界)は引き裂かれ、破壊され、失われているからです。それも私たち自らの手によって」

(5、6ページ)


Egyptian President Al-Sisi at Al-Azhar: We Must Revolutionize Our Religion - YouTube

私もシシ大統領の演説に同意する。イスラムは宗教上の改革が必要だと思う。どんな問題があるかという指摘は長くなるので、改めて投稿したいと思う。
私はイスラム世界と全世界のイスラム教徒へ努力を求める。
イスラムの宗教指導者をはじめ、イスラム教徒一人ひとりの努力がなければ、宗教上の改革はできないからだ。


9つめの動き:有益な情報を発信する専門家

この混迷した状況の中、まるで灯台の光のように、自分の考えをまとめる上でとても有益な情報をタイムリーに伝えてくれる専門家がいた。

池内恵

池内氏は、イスラム研究者、東京大学先端科学技術研究センター准教授。専門は、イスラム政治思想。

そもそも「イスラーム国」がなぜ台頭したのか、何を目的に、どのような理念に基づいているのかは、『イスラーム国の衝撃』の全体で取り上げています。
下記に今回の人質殺害予告映像と、それに対する日本の反応の問題に、直接関係する部分を幾つか挙げておきます。
(1)「イスラーム国」の人質殺害予告映像の構成と特徴  
 今回明らかになった日本人人質殺害予告のビデオは、これまでの殺害予告・殺害映像と様式と内容が一致しており、これまでの例を参照することで今後の展開がほぼ予想されます。これまでの人質殺害予告・殺害映像については、政治的経緯と手法を下記の部分で分析しています。
第1章「イスラーム国の衝撃」の《斬首による処刑と奴隷制》の節(23−28頁)
第7章「思想とシンボル−–メディア戦略」《電脳空間のグローバル・ジハード》《オレンジ色の囚人服を着せて》《斬首映像の巧みな演出》(173−183頁)
「イスラーム国」による日本人人質殺害予告について:メディアの皆様へ - 中東・イスラーム学の風姿花伝

イスラーム国の衝撃 (文春新書)

イスラーム国の衝撃 (文春新書)

この投稿は、ISILが人質の殺害予告映像をネットに出された日に投稿されたものだ。
この投稿の指摘と『イスラーム国の衝撃』という本とを併せて読めば、この人質事件の動きを(ある程度)予想できた。それは私にとってとても有益な情報だった。
池内氏のブログ「中東・イスラーム学の風姿花伝」

松本太氏

松本氏は、世界平和研究所 主任研究員。東京大学教養学部アジア科 昭和63年卒。外務省入省。OECD代表部書記官、在エジプト大使館参事官、内閣情報調査室国際部主幹、外務省情報統括官組織国際情報官等を経て、平成25年より現職。

そもそも、ムスリム同胞団であれ、過激なアル・カーイダイスラム国であれ、「イスラム主義」とは、共産主義のような政治イデオロギーと同様に、現代社会の政治・経済社会の様々な課題に応えることを目的として、イスラムを手段として活用する政治的なイデオロギーなのである。
イスラム主義者の目的は、「真なるイスラム」を高らかに主張することでイスラムを自らのものとして独占し、その政治イデオロギーイスラムを従属させることにある。他のムスリムに異端宣言を下し、イスラムが宗教と政治に分割できるようなものではないと断言することで、政治と宗教の権力の源泉の全てを独占しようとするのである。
本当に撃退すべきなのはイスラム国の暴力ではなくイデオロギーだ イスラム国という疫病への処方箋:JBpress(日本ビジネスプレス)

ここで書かれている「イスラム主義」とは、「政治的イスラム」「イスラム復興主義」「イスラム急進主義」とか言われることもあるが、一番よく使われるのは「イスラム原理主義」という言葉だと思う。
つまりここで書いているのは、「(宗教としての)イスラム」と「イスラム原理主義」を混同してはいけないということ。詳しくは引用元の記事を読んでほしい。
松本氏の記事は、不定期掲載と思われるので、タイムリーとはいえないのだが、混沌とした状況を見つめる考え方を提示してくれた。
イスラム以外の記事も多いのだが、この2か月はイスラムの記事が多く、どの記事も興味深い視点を提示してくれている。
松本太氏の記事一覧

野口雅昭氏

野口氏は、日本の元外交官。京都文教大学人間学部長、現代社会学科教授。

これらの議論には基本的に二つあり、一つは最近の安倍政権の積極的平和政策が中東諸国の対日不信感を深めていたところに、今回の安倍総理の中東歴訪が、この不信感を呼び覚ましたというものであろう。
そもそも中東諸国などと一派ひとからげにできるほど中東は単純ではないが、外国の対日観という場合には基本的には政府のそれと国民感情のそれとがある。
特に中東諸国のように政府の力が強いところでは、当然政府の対日観がまず重要となるが、何時頃からか知らないが、中東諸国政府の対日観が最近悪化しているなどと言う話は聞いたこともない。
国連での議論やら、我が政府や外交官に対して、中東諸国の政府が最近公式でも、非公式でも非難めいたことを発言することが増えたなどあったであろうか?
中東の窓 : 邦人人質事件に関する「識者」の論調

今回の事件では、日本の識者といわれる人の発言に変だと思うものが少なくなかったのだが、それが本当に変なものなのか判断するために、中東の現状を知る必要があるなと感じた。野口氏のこのブログは、中東情勢のニュースをずっと投稿してくれていて、それを判断する上でとても役立った。
日本語で読める中東のニュースはとても少ないため、このブログの情報は貴重だ。ほぼ毎日、何本もの情報をアップしてくれている。原典も指し示してくれているのだが、アラビア語のものが多く、私には全く読めないのだけれども、それでも必要であれば機械翻訳はでき確認できるのもよいと思う。
野口雅昭氏のブログ「中東の窓」

岩永尚子氏

岩永氏は、中東研究家。津田塾大学博士課程 単位取得退学。在学中に在ヨルダン日本大使館にて勤務。2012年まで母校にて非常勤講師として「中東の政治と経済」を担当。
ISILに関する記事は2つだけなのだが、その他中東情勢全般についてあまり中東情勢に詳しくない人向けにわかりやすく書いている点、好感を持った。

そもそもアラウィー派イスラム教キリスト教が融合したような特殊な教義を持つため(断食・巡礼・モスクでの礼拝なし、クリスマスを祝うなど)、スンニ派からみても、シーア派からみても異端でしかありません。彼らはオスマン帝国時代にはイスラム教徒ではなく、「異教徒」として分類されていたほどです。ですから、この内戦をシーア派対スンニ派の「宗派対立」として理解するのには無理があります。ヒズボッラーはアサド政権がシーア派の一派であったから参戦したのではなく、参戦によって利益が得られると考えたために参戦したのです。
教えて! 尚子先生シリアの内戦はなぜ解決しないのですか? | 海外レポート世界の街角お金通信 | 橘玲×ZAi ONLINE海外投資の歩き方 | ザイオンライン

上記は、シリアの内戦を理解するために必要な基本的な知識だと思う。
一応、シーア派の主流派はアラウィー派をしぶしぶシーア派のひとつと認めてはいるようなのだけど、異教徒だとする考え方は根強く残っている。ISILは完全にアラウィー派を異教徒と見做している。岩永氏の記事は、ある程度知識のある人も、おさらいとしてよい記事だと思う。
岩永尚子氏の記事一覧


懺悔

人質になった湯川氏、後藤氏の殺害された後の画像を、見たくなかったがこらえて見た。同じ日本人として、同胞として、目に焼き付けるべきだと思ったからだ。そして、想像していたよりはるかに大きな衝撃をうけた。
あまりに残酷だったからだ。
最初に感じたのは、爆発するような怒りだった。そして悲しみ。それが通り過ぎるともう一度ふつふつとした怒りがわいてきた。こうやって感情をゆさぶることこそ、テロリストの目的だ。頭ではわかっていたが、冷静に見ることは全くできなかった。
それでも時間が経ち、激しい感情は収まったが、どうにも気分は優れない。鬱々とした日々が続いている。
その感情は、言葉にすると、罪悪感と無力感のように思える。

なぜ罪悪感を感じるのか?

頭ではこういう最期を迎えることをわかっていたはずなんだ。だから最初にあの人質殺害予告映像を見た時、「ぼんやりと」断首されるのだなと思ったのだろう。
ぼんやりと? ひどい話だ。
それは画像の向こうの、ネットの向こうの、遠く離れた自分には関係のない世界の話だと思ったから「ぼんやりと」思ったのだ。だけど、殺害された画像を見た時、初めて自分の身にも振りかかるかもしれないという実感を持った。そしてその実感がわいたから、罪悪感らしきものを感じているようなのだ。それもひどい話だ。
考えてみれば、1月7日に、パリでシャルリー・エブドの襲撃事件があったが、そのちょうど1ヶ月前、私はパリに旅行していて、シャルリー・エブドのある辺りを歩いていた。もし運が悪くその日テロを決行されたら、テロに巻き込まれていたかもしれない。では日本にいたら安全かというと、過去には北朝鮮が日本にいる日本人を拉致した事件もある。それは未だに解決していない。日本でだって、単独行動テロは起こるかもしれない。
他人ごとではいけないのだなとつくづく思う。

なぜ無力感を感じるのか?

では何ができるかと自身に問えば、当たり前なのだが、何もない。
『過激なイスラム主義者が確信的に惹起しようとしている不安や恐れをものともせず、英国人がいつも言うように”keep calm and carry on”(静けさを保って、日々の生活を続ける)』*5ことこそ、一般の市民ができるテロとの闘いなのは頭ではわかっている。
でも私は自分がそんなに強くないことを今回思い知った。
似非平和主義者や過剰な自己責任論者のように、自分ではない誰かに全ての責任を負わせるように考えられたら楽なのだろうなと思う。
もう中二病なんて遥か彼方な歳ではあるが、ダークフレイムマスター*6になって圧倒的な力で戦えればいいのにと思う。

最後に

気を取り直して、もう一度、自分の考えをまとめてみることにした。そして書いたのがこの投稿だ。読む人のことをあまり考えなかったので、結局かなり長文になってしまった。
それでも自分の考えは、ある程度整理できたかと思う。
ただその一方で、自分がテロに巻き込まれた時の心構えは、永遠にできそうにないなと感じた。

テロは、日本全体にも、私自身にも、所期の成果をあげたように思う。


*1:NHKスペシャル|追跡 「イスラム国」 の内容から

*2:この文章では、イスラム国を自称するテロリスト集団をISILと呼称しているが、この部分は引用であるので原文のままイスラム国という呼称を記述した。以下引用部分については同じ。

*3:海上自衛隊の特別警備隊の可能性もあるが、防衛機密だらけで情報がないのは、特殊作戦群と同じだ。特別警備隊 (海上自衛隊) - Wikipedia

*4:引用した文中には、1月1日の演説と書いているが、演説の動画には12月28日となっているのでその日付を記載した。

*5:過激なイスラム主義とどう対峙すべきか?パリ、ロンドン、カイロで示された処方箋 静かだが強い意志を示したパリの大規模デモ行進:JBpress(日本ビジネスプレス) p.8

*6:中二病で検索したら出てきたのだが、中二病の人のヒーローらしい。