日はまた昇る

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参院選の感想。今こそ憲法9条の『現実的』改憲を望む。

参院選の結果について

2016年7月10日、参院選が終わった。
結論からいえば、勝者なき選挙だったかなと思う。
自民党は27年ぶりの単独過半数に届かなかった。激戦が伝えられた1人区で11人の落選者がでた。野党共闘は一定の成果をあげたことを認めざるをえない。公明党は選挙巧者ぶりを発揮したが、1人区で自公共闘野党共闘に敗れたことで、自公の選挙協力の限界を示すことになった。
その一方で、注目された与党(自民+公明)におおさか維新等の改憲に前向きな勢力の議席数だが、いわゆる改憲勢力で実質的に3分の2を超えた*1。3分の2阻止を旗印にした野党連合は阻止に失敗した。
民進党野党共闘の成果は認められるものの大きく議席を減らした。共産党議席を伸ばしたもののそれほど多く議席を伸ばせなかった。おおさか維新は関西圏以外に浸透できなかった。社民党は党首が落選した。

ほとんどの党に忸怩たる思いが残る結果になったと思う。とはいえ、全体とすれば、与党の政権基盤を強くしたと思うので、完勝とまではいかないが与党勝利と呼べるかもしれない。

一方、大きく議席を減らした民進党にとっては悩ましい結果だと思う。完敗ならば野党共闘という選挙戦術を否定できた。改憲勢力の3分の2を阻止できていれば野党共闘を評価できた。結果はどちらでもなかった。民進党の選挙総括は難しいだろう。

私は、民進党は、55年体制社会党のような「なんでも反対党」ではなく、「政権交代を担える政党」を目指すべきだと思う。そのためには、声を出さない大多数の国民の声なき声を拾い上げ、それに真正面から向き合ってほしい。そうすれば、自民党の政策に心底満足しているわけではないが、自民党政権しか選択肢にないと考える多くの人々の姿とその苦悩が見えるはずだ。

国民が望んでいるのは、一に現実的で前向きな「社会保障」であり、二に現実的で前向きな「経済政策」だ。
立憲主義を守れ」とか声高に叫んでも選挙結果はついてこない。それは日本国憲法が施行後、既に69年経ち、日本国憲法の安定性を市井の人々は信じているし、事実、日本国憲法は安定しているからだ。
安保法改正を戦争法と呼び、あたかも戦争前夜のような感情的な選挙戦を展開しても、その感情論には動かされない。今回の参議院選挙は、国民の成熟性が現れた選挙結果だったと思う。

国民のコンセンサスを得る改憲が必要

国民の願いは、一に現実的で前向きな「社会保障」であり、二に現実的で前向きな「経済政策」だということは忘れてはいけない。安倍政権がまず取り組むべきは、困難を増す経済運営に全力を尽くすことだ。

改憲勢力で3分の2を確保したからといっても、改憲について白紙委任されたとは考えるべきでないだろう。とはいえ、憲政史上初めて改憲勢力で衆参両院とも3分の2を確保したことは重視したい。

国連憲章で認められている集団的自衛権の行使は、独立国として当然の権利だという点は強調しておきたい。そして、中国が荒々しく周辺国と対立している今、中国と比べて非力な日本は、同じく中国の脅威にさらされている国々と協力して中国に対するのが、唯一の現実的な対応策だと思っている。
中国の軍拡は、今後数十年以上続くということを忘れてはいけない。今でも相当の脅威なのに、20年後はどうなっているか考えてみてほしい。
20年後の中国は、間違いなく日本の自衛隊を圧倒する海軍と空軍を持つだろう*2。その状況でどうするか? 多国間の協力体制は、一朝一夕にはできない。今から時間をかけて準備しておかねば、時すでに遅しとなろう。

集団的自衛権の行使は、中長期的視点に立てば絶対に必要なものだ。だが一方で、今回の安保法改正は、相当強引なやり方だったことも認めざるをえない。それは欺瞞に満ちた日本国憲法第9条第2項をそのまま放置し続けたツケだと思う。そしてそのツケを更に将来に残すのは、賢明ではない。
改憲勢力が3分の2を確保した今こそ、将来に禍根を残さないよう改憲すべきだ。
そのためには、自民党は批判の多い自民党の『日本国憲法改正草案』を封印し、国民のコンセンサスを得られる改憲案を示して、民進党の議員も含めて同意者を増やす努力をすべきだ。

憲法第9条第2項無効論

私は、現行憲法の第9条第2項は無効な条文だと考えている。少なくとも裁判規範性はないと考えている。つまり第9条第2項に違反していると裁判を起こしても、裁判所は「統治行為論」によって判断を行わない条文だと思う。
以下にその考えを記したい。具体的に論拠を書くととても長文となるので、ここでは私の主張について概略を示すことにしたい。

概略

  • 日本国憲法は、その成立過程に問題があり、成立当初から無条件で正統なものとはいえない。
  • 憲法の正統性に対する学説は、八月革命説が主流となっているが、ポツダム宣言受諾を民衆革命と同じ効果を持つとする八月革命説はそもそも無理があり、八月革命説を否定する。
  • 日本国憲法は正統性に問題を抱えたまま発布されたと考えるべきだ。一方で正統性に問題がある日本国憲法に対し、その正統性を否定できるのは、大日本帝国憲法で主権を持つ昭和天皇だけである*3。しかし昭和天皇はその生涯を通じ、国民主権日本国憲法を遵守し尊重した。その考えと立場が確かと広く信じられた時、正統性に不備はありつつも国民主権は確定した。(この説を「天皇による主権禅譲説」と名付ける)
  • 主権者たる国民は、憲法を制定する権限を持つ唯一の存在である。国民が定めた憲法(民定憲法)だけが国民主権下では正当性を持つ。しかし日本国憲法は、欽定憲法である大日本帝国憲法の改正という手続きで制定された。日本国憲法は、その施行の当初は、形式的にも実質的にも民定憲法の要件を満たしていない。
  • 確かに日本国憲法は、主権者たる国民が直接制定、改正する機会が、施行後69年にわたり一切なかった。その事実は重いが、しかしだからといって、全ての条文について、「直接的な手段で民定されていないために正当性がない」とは言えない。日本国憲法は、その大部分の条文を国民は遵守し、その条文に基づき法律が作られ、その条文に基づき司法判断が行われている。その状態が長く続いたため、日本国憲法は、その大部分の条文について実質的に民定したと同じと考えられる。(この説を「消極的民定憲法説」と名付ける)
  • 一方で「天皇による主権禅譲説」と「消極的民定憲法説」から導かれるのは、日本の独立回復つまり主権回復時からしばらくの期間、日本国憲法はその正統性と正当性が確立していない不安定な時期があったということになる*4
  • まさに日本国憲法の正統性と正当性が確立していない時期に作られたのが「警察予備隊、現在の自衛隊」である。「警察予備隊、現在の自衛隊」を保有することは、第9条第2項で禁止される戦力保有にあたり、「警察予備隊、現在の自衛隊」は第9条第2項の条文に反する存在である。
  • 日本国憲法の正統性と正当性が確立していない時期に作られた「警察予備隊、現在の自衛隊」の存在を、国民は一貫して許容し続けてきた。そしてその状況が長期間にわたるということは、「消極的民定憲法説」に立つと戦力の保有を禁じた第9条第2項の条文を、主権者たる国民が民定したとは認めがたい。
  • 上記から、日本国憲法は概ね正統性と正当性はあると考えられる。よって無効論も否定する。但し唯一第9条第2項はその正当性を否定し無効な条文と考える。少なくとも第9条第2項には、裁判規範性はない。

概略の要約(サマリーのサマリー?)

概略を更に短く要約すると次の通り。

  • 日本国憲法は、占領、すなわち日本の主権が制限されていた時期に制定された憲法であり、主権者たる日本国民が民定した憲法ではない。
  • だが、日本国民は長らくその憲法を概ね守り続けた。その事実によって実質的に民定した憲法と同じと考えられ、正当性は認められる。
  • しかし、主権回復からの全期間、日本は第9条第2項に反する自衛隊を保持し続け国民はそれを許容した。第9条第2項だけは実質的に民定したと考えられず無効だ。

なお、「天皇による主権禅譲説」と「消極的民定憲法説」に立つと、憲法施行当初、内閣の国会解散権は第69条のみと考えられていた(1948年なれ合い解散)ものが、1953年に第7条を根拠として解散できるように解釈が変わり、そのまま定着したことも、十分説明可能だ。

主張

私は、憲法とは国民のものであり、その条文解釈は、国民が理解できるものであるべきと強く思っている。憲法憲法学者のものでもなく、政府(内閣法制局)のものでもない。国民が理解できない解釈でどうやって「立憲主義」を守ろうというのか。
上記の私の解釈は、起こったことをできる限りあるがままに評価し、できる限り理解しやすい解釈をと心がけて行った。
そうすると、たった1つの条文、第9条第2項だけはその正当性を否定せざるをえなかった。
世界有数の実力を持つ自衛隊を、憲法第9条第2項で保有を禁止する戦力ではないという解釈は無理がある。そんな一般人としての感覚は大事にしたいと思っている。その一方で、自衛隊の存在を国民は認め続けてきた。その矛盾をどう解釈するのかが重要だと思う。それは国民が理解できる解釈であるべきだ。
その観点では政府(内閣法制局)の解釈も、護憲派の主張も、欺瞞としかいいようがないと思っている。

提案したい改憲

憲法第9条第2項を巡る堂々巡りの議論から抜け出し、激動する国際環境の中で本当に必要な安全保障の議論を行うためには、私たちは、現状をそのまま認める改憲を行うべきだと思う。その観点で、私は次のような改憲案を提示したい。

現行の規定

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

私は、第9条第1項の「戦争放棄」の項の修正を行う必要性を感じていない。日本国民の全てといってもいいほど圧倒的大多数は、戦争を望んでいないと思われる。戦争の放棄は日本国憲法の重要な条文だと思う。
私は、第2項だけを改正すべきと思う。

改憲

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の規定は、我が国の平和と安全とを維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置を執ることを妨げない。
3 第2項に定める自衛のための措置を執るため、自衛隊保有する。自衛隊の最高指揮官は内閣総理大臣とする。

この改定案は、現状をそのまま認めたものだ。改憲に反対する人は、第2項の「我が国の平和と安全とを維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置」を憲法で認めることは現行の憲法を大きく毀損するものと考えるかもしれない。しかしこれは砂川事件最高裁判決で確定している判例をそのまま条文案にしただけだ。現行憲法最高裁の判断を全く変えていない。

(裁判要旨から抜粋)
四 憲法第九条はわが国が主権国として有する固有の自衛権を何ら否定してはいない。
五 わが国が、自国の平和と安全とを維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置を執り得ることは、国家固有の権能の行使であつて、憲法は何らこれを禁止するものではない。
「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定に伴う刑事特別法違反」事件の最高裁判決(刑集 第13巻13号3225頁 昭和34年12月16日)

そして、第3項で、自衛隊保有を認めているが、現状と何か変えている点は全くない。現状をそのまま認める勇気を私たち国民は今こそ持つべきだと思う。
自民党は、改憲勢力で3分の2を確保したからといって、強引に改憲へ突っ走るのではなく、野党、特に民進党とよく議論し、与野党の多数が賛同できる改憲案をまとめるべきだ。
解釈改憲が何度も繰り返されるより、解釈の余地が少ない条文に改憲した方が、「立憲主義」を守るためにはよほど有効だ。

現状を認める憲法第9条改憲を行った上で、批判の多かった「改正安保法」について、新しい憲法条文に則り、再度議論すべきと思う。
そうすれば、「立憲主義を守れ」と繰り返すだけの教条的な憲法解釈議論や、「安倍政権の暴走」というレッテル張り議論を脱し、「我が国の平和と安全とを維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置」とは何かという具体的な議論に収れんしていくだろう。その議論こそ、将来の日本の安全保障にとって本当に必要な議論だと思う。

安倍首相の自民党の総裁任期はあと2年しかない。この参議院選挙によって、安倍政権の政権基盤は強化された。それだけに、安倍政権の責任は従来にもまして重くなったと思う。
 

 

*1:改憲に前向きと思われる諸派、無所属の議員を含む。

*2:陸軍と戦略ミサイル軍は既に圧倒している。

*3:終戦時には天皇機関説は排除されていたため、ここでは天皇主権説をとる。

*4:その期間はかなり短いと考えるべきだが、それでも日本国憲法の正統性と正当性が不安定な時期があったという認識が重要である。