分離独立運動は流血を招く(前)
おさらい
この投稿は気が進まない。
ただ私のブックマークコメントに対してid:Mukke氏から氏のブログでそれなりに長い文章の批判投稿をいただき、その際Mukke氏から私のブログで反論投稿するよう要求をうけ、それに応じたので書いている。
気が進まないのは、ブックマークコメントはわずか100字であるのに比し、きちんと全部書こうとすると10000字以上の長文になるからでもあるのだけど、上記の事情なのでお許しいただきたい。
要点は表題の通り。端的に言えば、私のこの長文の投稿の要点は、たった一行で済む話なのだが、それを理由づけて説明しているだけだ。*1
議論のもとになっている琉球新報の社説
Mukke氏が賛意を示した投稿を書き、それに対し私がブックマークコメントで強く非難したことからはじまる一連の議論のもとになっているのは、次の琉球新報の社説である。
確認できたことの第一は、明治政府の「琉球処分」(琉球併合)が国際法違反だったことだ。
(中略)
米軍基地は、「外交・安保は国の専管事項」を隠れみのに、いかに沖縄にとって不当であろうと強制される。多数決原理の下、日本総体としてそれを容認してきた。県という枠組みにある間、沖縄は常に強制され続けることになる。その淵源(えんげん)が琉球併合なのだ。
だとすれば、やはり自己決定権回復以外、解決の道はない。
上記の社説で、琉球新報は、「琉球処分」(琉球併合)は国際法違反と断言する。その上で、米軍基地問題を解決する方策は自己決定権回復以外、解決の道はないと断言する。
「琉球処分」という領土問題から論をはじめ、米軍基地という日米安保条約の問題を論じるこの文脈で「自己決定権回復」とくれば、この社説が主張する「自己決定権回復」とは「沖縄の独立」か「国の安全保障政策を拒否できるほどの強い高度な自治の獲得」という意味だと捉えるのが自然だ。
もともと琉球新報の政治報道は、大きな偏向性があると見られているが、ここまで断言的に論じる言を書いたという事実は重い。これは単なる流言蜚語の類ではない。公称ではあるが20万部の発行部数を誇る新聞の社説だ。これまでも琉球新報の記者が講演などでたびたび沖縄独立論を論じてきているし、「自治・自立・独立についての県民論議が、より深まることを期待」するといった内容の社説*2も書いてきたが、ついにここまで沖縄の独立を強く示唆する内容の社説を書くまでになったのかという思いを抱く。
Mukke氏の投稿
この社説をうけて、Mukke氏が書いた投稿は次のものだ。
わたしはヤマトンチュであり,沖縄を取り巻く植民地主義の加害者側にいる人間ですが,この社説を全面的に支持します。
(中略)
沖縄には“独立”に賛同するひとも反対するひともいるでしょうし,ヤマトにも沖縄独立がいかに不可能かを論じるひとは大勢いますが,選挙なり住民投票なりの結果に基づいて独立か日本の枠内での高度な自治かそれとも通常の県並の処遇を受けるかを選ぶこと,それ自体が民族自決権の行使なのであって,行使し得ない環境があるとすればそれは独立に反対だろうが賛成だろうが問題のはずです――少なくとも,自由と民主主義の信奉者にとっては。
Mukke氏は、エスニック問題*3に興味と関心を強く抱いていると思っている。そういう人が今の沖縄の状況をみて、先日の「スコットランド独立の是非を巡る住民投票」のような「平和裏の投票」を期待する気持ちはわかる。
ただ問題は、そういった人は期待が先に立ち、私が一番重要だと思う視点、つまり「本当に平和裏に沖縄でそんな投票ができるのか?」という安全保障上の視点を欠いている点だ。Mukke氏もしかり。琉球新報もしかり。安全保障に関する問題を論じているのに関わらず、どんなことをしても平和が崩れないことを議論の前提としている。そういった論が常に成り立つのならば、世界はどれほど幸せであったろうか?
私のブックマークコメント
もともとの琉球新報の社説が極論であると思っていたし、それに対し「全面的な支持」を表明するというのはあまりに偏った見方だと私は思った。
なので、極めて強く非難した。
沖縄の民族自決権行使を支持する - Danas je lep dan.ブログ主のようなサヨクは自説に都合よい民族自決権なる用語を使いたがる。沖縄の意見はもっと複雑。またアマゾンやチベットやパレスチナは全く異なる状況だし沖縄の状況とも異なる。それを同じと見る視野狭窄現象だ
2015/02/23 00:48
Mukke氏が腹を立てるぐらいのコメントを残そうと思ったのは後にも書いているが認めたい。字数制限がない状態でこのコメントを柔らかく書いたら次のようになるだろう。
「植民地主義の加害者側」にいるという認識を持ち、「土地を一方的に収奪している」からという理由だけで、琉球新報による「沖縄の独立を主張するような極論」を「全面的に支持する」なんて、正に左翼そのものの主張だ。各種調査を見て分析する限り、沖縄の人の意見はこんな極論とは異なり、もっと複雑で穏当なものだ。アマゾンやチベットやパレスチナと沖縄は、置かれている状況が全く異なる。これらを同一視するのは、自分の意見に沿う事実を意図的に集めて構成した理屈であり、自分の見たいものしか見ないいわば視野狭窄現象のようなものだ。
安保政策の主な対立点
上記の私のブックマークコメントに対し、Mukke氏から批判投稿をもらった。
わたしを左翼っつったら左翼の皆さんに失礼だと思うんだけど - Danas je lep dan.
その批判投稿に対するやり取りの中で、左翼とは何か?のような本質論ではない方向にどんどん議論がずれてしまった。それは私にも問題が多いのだが、その中で左右の基準を問われ宿題となったので、ここで一応あげておく。
安全保障政策における政治的立ち位置の評価は、現在実際に左右の対立点となっている政策をどう考えているかで判断するのが妥当だろう。
そこで、昨年行われた総選挙などで左右の対立点となっている安全保障政策の内容と、琉球新報の社説に関係した、左右の評価軸をあげてみた。
- 憲法9条改正 (右:賛成 左:反対)
- 集団的自衛権行使 (右:賛成 左:反対)
- 普天間基地移転 (右:辺野古 左:国外・県外)
- 南西諸島防衛 (右:強化 左:現状維持)
- 琉球処分の正当性 (右:正当 左:正当でない)
- 沖縄の独立・高度な自治 (右:認めない 左:容認する)
南西諸島防衛については、2月に与那国島への監視部隊の配備の住民投票が行われたが、それも南西諸島防衛の一環なので、配備に賛成ならば強化すべきという意見であり、配備に反対ならば現状維持という意見と考えるといいと思う。それから「民族自決権の回復」とは、とどのつまりは沖縄の独立または高度な自治を意味する。以上、2点補足説明しておきたい。
以上の通り、Mukke氏の求めに応じて、左右のメルクマールを提示したので、氏はぜひこの基準で氏自身の「安全保障政策」における自身の政治的立ち位置を確認してほしい。
Mukke氏が氏の考え全体として右派なのか左派なのかは、正直に言えば実は私にはあまり関心がない。たいていの人は政策分野ごとにそれぞれ意見を持つし、政策分野ごとに政治的立ち位置が違う人も多い。例えば経済分野では左派的だが、家族の有り様については右派的考えの人とかはごまんと存在する。
この議論の元になった社説は「領土の問題に直結する安全保障分野」の主張だと改めて認識していただきたい。
私がMukke氏に関心を寄せているのは、氏が「安全保障分野」で左右どちら側か?だけだ。
サヨクという表現
Mukke氏に対する私のブックマークコメントに、普通に漢字で「左翼」と書くのではなく、わざわざカタカナで「サヨク」と書いているのは、「揶揄」の気持ちを含んでおり、挑発なのも認める。
そういった非が私にあるので、だからこそMukke氏の要求に応じ、こうやってきちんとブログに投稿を書いている。そしてその「揶揄」についてはまず謝罪しておきたい。それは質の悪い挑発であった。
その謝罪を行った上で、次のように言っておきたい。
左派、右派ではなく、左翼、右翼と私が表現したときは、その表現に「極論を主張する人物」という「非難」を含んでいる。そこで、私が考える「安保政策における極論」とは次の通りだ。
安保政策における極論とは、その主張によって「戦争や武力行使やテロなどの暴力を呼びこむ主張」のことである。
戦争や武力行使やテロなどの暴力は流血と混乱を生む。それでも戦争や武力行使を行うべきシチュエーションとは極めて限定される。テロはいかなるシチュエーションでも容認できない。
そこで重要になるのは、Mukke氏の主張が「戦争や紛争やテロなどの暴力を呼びこむ主張」かどうかだ。それをこれから論じていく。
前篇はここまで
この後、「世界における分離独立運動」という項を書いていて時間がかかっている。
ただ、Mukke氏から投降の催促があったので、前後篇に分け書いていた分だけを前篇として投稿した。
後篇は、まだ当分後になりそうなので、どうかお許しいただきたい。
本当に仕事が忙しく、時間が割けないんだ。
*1:Mukke氏からはそれ以前に私の別のブックマークコメントに対しても批判投稿をもらっているが、そちらの方はもともとブログに書きたい内容だったので準備はしている。ただしいろいろと調べないといけない内容を含んでいるので、時間がかかっている。そのため反論の順序は逆転するが、そういった理由なので許容いただければと思う。