日はまた昇る

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附論:『「尖閣問題」とは何か』に書いている内容は本当なの?

はじめに

この投稿は、『「尖閣問題」とは何か(豊下楢彦著)に対する所感/takamm氏への返答』に関する附論である。本論の方が長文となり、本論の見通しをよくするために、『「尖閣問題」とは何か』の内容に対する指摘事項は、この附論に書くことにした。
この附論を読む前に、ぜひ本論の方を読んでほしい。



第二章に対する指摘

第二章の要約

尖閣の返還交渉では、日本はアメリカ、中国、台湾などと複雑な関係にあった。本来はアメリカは日本の主権を認めるべきだ。しかしアメリカは尖閣諸島問題に対し「あいまい」な対応を続け、それが問題を更に悪化させている。アメリカが「あいまい」な対応をとるのは「オフショアー・バランシング戦略」をとっているからだ。

この章では、アメリカが尖閣諸島について施政権と領有権を分け、日本が施政権を持つことを認めたが、領有権は中立とした点について記述している。
施政権と領有権を分けた理由については、当時アメリカが中国との関係を修復させようとしていたため、中国との対立を好まなかったという側面はあると思う。ただし、この本では更に踏み込み、アメリカは日中間に領土係争が残るように対応したと指摘している。
それは本当だろうか?


指摘1:オフショアー・バランス戦略の表す意味

ジャーゴン? 疑問のある記述

『「尖閣問題」とは何か』の64ページに次の記述がある。

尖閣諸島の領有権問題で「中立の立場」を採るという米国の「あいまい」戦略は、日中間に領土問題という絶えざる紛争の火種を残し、米軍のプレゼンスを正当化するという意味において、いわゆる「オフショアー・バランシング」(offshore balancing)戦略の一つの典型例と言える。オフショアーとは直訳すると「沖合」ということであるが、単純化して言えば、海の向こうにAという強大な勢力が出てくる場合に、同じ海の向こうにBという別な勢力を要して支援を与え、AとBとの間で緊張関係を高めさせ、自らは海のこちら側で安全を確保するという戦略である。
(「尖閣問題」とは何か 64p)

この文章は、私の知っている「オフショアー・バランス戦略」の意味と異なる印象をうけたので、調べてみることにした。一番違和感があったのは、赤字にした部分である。
まず、この書籍に「オフショアー・バランス戦略」のこの解釈がどこから引き出されたものか出典の記述はない。
次に、この書籍に書いている「主要参考文献」で探したが、該当しそうなものが見当たらなかった。
そこで仕方がないので、ネットで調べることにした。


本来の意味

オフショアー・バランシング戦略の説明のうち、私が一番適切と思うのは次の文である。

オフショア・バランシングとは、米軍が地域の外縁に駐留し、地域内の勢力、例えば、イラン・イラク・サウジなどの勢力を互いにチェック・アンド・バランスさせるというものである。米国は基本的には外交的干渉を行い、もし地域内の勢力均衡が破綻し、米国の軍事力を必要とする場合は、弱い方に味方するのである。米国は海軍と空軍をも予期せぬ脅威に迅速に対応させる。特に重要なのは、米陸軍を投入するのは地域の勢力均衡が著しく崩壊しようとする時と新たな支配関係が生まれようとしているときだけである、ということです。
(オフショア・バランシング)

この言は、オフショア・バランシング戦略を持論とするミアシャイマー教授が、ニューズウィーク紙のインタビューで説明している言葉だ。Wikipediaにもある通り、ミアシャイマー氏は、攻撃的現実主義(offensive realism)の世界的な代表的論者として知られている。


バランシングとバック・パッシングの意図的な混同

「地域内の勢力均衡が破綻し、米国の軍事力を必要とする場合は、弱い方に味方する」というミアシャイマー氏の言と、「日中間に領土問題という絶えざる紛争の火種を残し、米軍のプレゼンスを正当化する」と説明する豊下氏の見方の差がよくわかると思う。
これは、バランシングに対する考え方の相違であると思う。
ミアシャイマー氏は、自身の著作「大国政治の悲劇」の中で次のようにバランス戦略(とバック・パッシング戦略)を説明している。

バランシング(直接均衡:balanceing)とバック・パッシング(責任転嫁:buck-passing)は、侵略国側がバランス・オブ・パワーを変化させようとするのを防ぐために大国が用いる代表的な戦略である。脅威を受けた側の国家は、バランシング(直接均衡)によって危険な敵国を封じ込めようとする。自分で抑止の負担を負い、必要な時は侵略国と正面から戦うこともある。バック・パッシング(責任転嫁)は、大国は自らは手を引いて安全を確保しつつ、自国の代わりに別の大国を使って侵略国を抑止する戦略である。
(大国政治の悲劇 187p)

大国政治の悲劇 米中は必ず衝突する!

大国政治の悲劇 米中は必ず衝突する!


これを読むとわかるが、実は、豊下氏は「オフショア・バランシング戦略」を自説の都合がよいように、バランシングではなく、バック・パッシングの意味に変化させている。そして、意味を変化させた「オフショア・バランシング戦略」(本当は、バック・パッシング)をアメリカが採用していることを根拠に、日中の領土問題にあいまいな態度を示す理由だと述べている。*1


指摘2:アメリカは本当に「オフショア・バランシング戦略」をとっているか?

ここで問題になるのは、今、アメリカが行おうとしている「統合エア・シー・バトル構想」は、「オフショア・バランシング戦略」の一環なのか?という点だと思う。
「統合エア・シー・バトル構想」については、こちらの記事が詳しい。(統合エア・シー・バトル構想の背景と目的
なお、『「尖閣問題」とは何か』でも「統合エア・シー・バトル構想」について記述している(256p-257p)が、「オフショア・バランシング戦略」とは異なる文脈で触れられているのが不思議なところだ。また内容も曲説がある。*2

アメリカが「オフショア・バランシング戦略」をとっているかについては、日本の防衛省は、明確に否定している。
(根拠:東アジア戦略概観 2012 第6章 米国 -財政危機と対外コミットメントのはざまで-防衛研究所 207p)
アメリカは、「統合エア・シー・バトル構想」で依然として戦力の前方配置を行なっているし、アジア地域については、かえって前方プレゼンスを強化していると思われることから、この防衛研究所の評価は正しいと思う。


第二章のまとめ

第二章の前半部分では、アメリカとの交渉、中国との交渉、台湾との関係について、整理されており、この点については特に異論はない。
問題は、後半部分であり、豊下氏の主張する「アメリカのあいまい戦略」と「日中間の衝突をビルドイン」していたという主張は、根拠がない。*3
この部分は、尖閣を含む沖縄返還において、日米中台で複雑な交渉の経緯があったと認識すれば足る。歴史を知ることは大事だが、それに拘りすぎて現実の認識を歪めるのは本末転倒であろう。



第四章に対する指摘

第四章の要約

北方領土問題は、当初日本は2島返還でよいと考えていた。それをアメリカが恫喝し方針を変えさせた。日本はその呪縛から離れ外交目標に優先順位をつけ「戦略的解決(=2島返還)」を図るべきだ。一方、竹島は、紛れもなく日本領だ。しかし価値のない島で韓国と争うのは利益がない。韓国とも戦略的解決(竹島譲渡または放棄、あるいは主権主張の放棄)を行うべきだ。

第四章は、北方領土竹島について論じている。これらは、領土問題化した(奪われた経緯)も相手国も異なり、尖閣問題とどう直接的な関係があるのか、かなり疑問だ。ただ、ここではそういった本論との関係性の問題はひとまずおいて、記述されている内容に目を向けたい。


指摘1:北方領土問題|いわゆる「ダレスの恫喝」の解釈

比較資料の必要性

最近、ダレスの恫喝の指摘をよく見るなあと思う。例えば、JBpressで筆坂秀世氏が書いたこの記事『「2島返還」に応じるなと日本を恫喝した人物』などもそうだ。
ダレスの恫喝については、ダレスの発言の真意、ダレスの発言だけが日本が2島返還で妥結しなかった理由かという点で議論がある。
明瞭な証拠がないので、ほとんどその人の史観次第なのじゃないかと思う。筆坂氏(元共産党員の政治評論家)にせよ豊下氏にせよ、その解釈には、強く党派性がでるトピックだと思う。そもそも、「恫喝」という言葉が穏やかじゃない。
このような解釈で党派性が強く表れるトピックの場合、私は、比較対象になる資料を探し、それとの対比を行うことで、その内容を評価するようにしている。


北方領土問題の経緯【第4版】

北方領土問題の経緯【第4版】は、国立国会図書館調査及び立法考査局によって表された資料だ。PDFで配布されており、資料はこちら(北方領土問題の経緯【第4版】)からダウンロードできる。
国立国会図書館調査及び立法考査局の任務は「国立国会図書館法」第15条に規定されており、衆参両議院の補佐を行うこととされている。
可能な限り、党派性に影響しない資料を探した。ネットで読める資料の中では、信頼できる資料だと評価している。特に、脚注が充実しており、どこに書かれている内容なのか、トレーサビリティに優れる。


『「尖閣問題」とは何か』と『北方領土問題の経緯【第4版】』の記述の比較

それでは、この豊下氏の『「尖閣問題」とは何か』と国会図書館の『北方領土問題の経緯【第4版】』の差異を調べてみたい。


1956年7月の日ソ交渉|いわゆる「ダレスの恫喝」の直前の交渉

『「尖閣問題」とは何か』の記述

以上のように「千島の範囲」をめぐって外務当局の認識も揺れ動くなかで、紆余曲折を経ながらも日ソ交渉は進展し、一九五六年七月の交渉過程において全権の重光葵外相はソ連側が約束している歯舞・色丹の二頭返還を受諾して平和条約を締結をするとの決意を固めたのであった。(「尖閣問題」とは何か 104p)

北方領土問題の経緯【第4版】』の記述

1956年7月、モスクワで日ソ交渉が再開された。この交渉では重光葵外相自身が全権代表としてモスクワヘ赴いた。同氏はかねて日米関係を重視し、対ソ強硬派と目されていたが、二島(歯舞・色丹)を最終譲歩とするソ連の意思が動かし難いことを知り、ソ連案―二島引渡しプラス国境画定(すなわち国後・択捉を含め千島及び南樺太はソ連領として認める)―で平和条約を締結しようとした。しかし、東京からは、この際直ちにソ連案に同意することについては閣内こぞって強く反対し、また国内世論もすこぶる強硬であると判断される、として妥結を見合わせ、冷却期間をおくため、折から開催されたロンドンのスエズ運河会議に出席するよう要請する訓電が届いたといわれる。(北方領土問題の経緯【第4版】5p)

『「尖閣問題」とは何か』では、なぜか東京の内閣の意向や国内世論については、触れられていない。


1956年8月の日米交渉|いわゆる「ダレスの恫喝」についての記述

『「尖閣問題」とは何か』の記述

ところが、八月一九日にロンドンで行われたダレス米国務長官との会談で厳しい批判にさらされることになった。ダレスは、仮に日本が二島返還で手を打ちソ連が国後・択捉を獲得するならば、米国は「沖縄に永遠に留まり、琉球政府の存続も認めない」と重光に迫ったのである。(「尖閣問題」とは何か 104p-105p)

北方領土問題の経緯【第4版】』の記述

同年8 月19 日にロンドンで行われた米国ダレス国務長官と重光外相との会談において、重光外相が日ソ交渉の状況を説明したのに対し、ダレス長官は「もし日本がソ連に千島の完全な主権を認めるなら、我々は同様に琉球に対して完全な主権を主張しうる地位に立つ。」、「もし日本が千島の主権を南北に分けることが可能かどうかを問うのであれば、米国は再考するかもしれない。米国はすでに北部琉球(注.奄美のこと)を返した。」と述べた。
重光外相は、米国の解釈がそのように固いのであれば日本は再度対ソ努力を継続する、日本の論議は国後・択捉が固有の領土だというにある等と答えた。(北方領土問題の経緯【第4版】5p)

ダレスのこの言は、日本の外交方針に影響を与えたのは事実であろう。しかし、それが日本の意に沿わないことを強いる恫喝であったのか、アメリカの国益を守るために行った通常の外交交渉の範囲に留まるのかは、重光外相だけでなく、内閣の総意、国民の世論を勘案すべきでないかと思う。
豊下氏の見解は一方的な見方であると考える。


アメリカ(ダレス)の意図・認識

このような発言を行ったダレス、ひいてはアメリカ政府の意図の記述についても、比較してみたい。
『「尖閣問題」とは何か』の記述

さらに付言しておくならば、実は鳩山政権が誕生する直前の一九五四年一二月一日、国家安全保障会議でのアイゼンハワー大統領の要請を受けて提出した覚書においてダレスは、日本は講和条約によって千島列島への請求権を放棄したが、「歯舞諸島千島列島に属しておらず日本の主権のもとにあるとの米国の確立された立場」を明確に述べていたのである。つまり逆に言えば、歯舞以外の色丹、国後、択捉は千島列島に属しているというのが当時のダレスの認識であり、それを踏まえるならば、「一島返還」こそが日本の「合理的な要求」という結論にさえ至るのである。(「尖閣問題」とは何か 106p)

一言指摘しておくと、「逆は必ずしも真ならず」というのは、論理学の基本だ。そのためには、逆が真であることを別な論理で証明する必要があるのだが、そこで指し示しているのが、豊下氏自身の著作であるのが呆れる。自分の著作なら、きちんと理論の要約ぐらい書いておくべきだろう。

さて、これに対して、『北方領土問題の経緯【第4版】』には、別なアメリカの覚書の存在が記載されている。

日ソ交渉中の1956年9月7日、米国国務省は対日覚書を発出し、その中で、①ヤルタ協定は当時の首脳が共通の目標を陳述した文書にすぎず、領土移転の法的効果をもつものではない、②サンフランシスコ平和条約は日本の放棄した領土の帰属を決定しておらず、別個の国際的解決手段に付せられるべきものとして残されている、③日本は放棄した領土に対する主権を他に引き渡す権利をもっておらず、このような性質の行為がなされればサンフランシスコ平和条約の当事国は一切の権利を留保するであろう、④「米国は、歴史上の事実を注意深く検討した結果、択捉、国後両島は(北海道の一部たる歯舞諸島及び色丹島とともに)常に固有の日本領土の一部をなしてきたものであり、かつ、正当に日本国の主権下にあるものとして認められなければならないものであるとの結論に到達した。米国は、このことにソ連が同意するならば、それは極東における緊張の緩和に積極的に寄与することになるであろうと考える。」という見解を表明した。この覚書は、同年8月の二回の重光・ダレス会談をうけて米国国務省内で検討がなされた結果発出されたものである。(北方領土問題の経緯【第4版】6p)

ダレス氏の要請から鑑みて、このアメリカの見解は当然だと思う。しかし、とても明確な表明であり、豊下氏の見解に対する反証となるだろう。
そこで、次に『「尖閣問題」とは何か』の記述を見てみたい。

さらに、ダレスが「恫喝」した四島返還論の本質的な問題は、それが「冷戦を背景に日本とソ連の間に打たれた「楔」に他ならなかった」ということであり、日ソ間に領土紛争の火種をまいておいて、米軍のプレゼンスの正当化を図ろうとしたのである。これは、先に見た尖閣問題と、まさに同じ構図に他ならないのであり、オフショアー・バランシング戦略の典型例と言えるのである。(「尖閣問題」とは何か 107p)

また、「オフショアー・バランシング戦略」なのかい・・・。ほんとこの本は、肝心なところになると「オフショアー・バランシング戦略」がでてくるな(笑)。もっとも、この件に対する指摘は前項で説明したので、ここでは省略する。
確かに、この時期、冷戦は激化の一途を辿っていて、アメリカは日本を味方陣営に確保し続けなければならない状況にあった。それによって、ダレス氏は強引な外交を展開した。しかし、その評価は、日本側の状況と合わせて行うべきであろう。
最後に、『北方領土問題の経緯【第4版】』から一つ引用する。

終戦から講和に至る時期を通じて、国会においては、侵略によって他国から奪った領土でない千島、樺太(特に千島)については、カイロ宣言=領土不拡大原則に照らし日本に主権を残してもらいたいとする議論が一般的であった。歯舞・色丹はもとより、国後・択捉が千島(クリル)の内ではないとする論議も早くから行われた。1947年10月6日衆議院外務委員会で紹介された請願が、会議録に残る最初の“国後・択捉非クリル論”である。
他方、サンフランシスコ平和条約を審議した第12回国会では、条約第2条c項に関して、“南千島”(国後・択捉)も放棄した千島列島に含まれる、との答弁がなされた(1951年10月19日、同20日の衆議院特別委員会、11月5日の参議院特別委員会)。ただし、当時は条約を成立させて独立を回復することが最優先課題であり、また占領下にあって実際上政府に行動(答弁)の自由がなかったことが考慮されるべきである。(北方領土問題の経緯【第4版】4p)

二島返還論は、この認識が正しいと思う。サンフランシスコ平和条約によって独立を回復した以上、二島返還論が日本の世論となることはない。それは終戦直後から今に至るまで変わらない。歯舞・色丹・国後・択捉4島は正しく日本の領土である。確かにアメリカの外交が影響を及ぼしたが、それは結果オーライであっても、日本の世論に沿ったものであったと解すべきだ。


北方領土問題のまとめ

国立国会図書館調査及び立法考査局による『北方領土問題の経緯【第4版】』に必要十分な記載がある。
豊下氏の論は、日本国内の世論を無視していて、一方的な視点に基づくものに思える。


指摘2:竹島問題|2つの歴史問題に対する態度の差異

竹島領有権問題の経緯【第3版】

竹島問題についても、国立国会図書館調査及び立法考査局の資料がある。こちらからダウンロードできる(竹島領有権問題の経緯【第3版】
この項でも、『「尖閣問題」とは何か』と『竹島領有権問題の経緯【第3版】』の記述について、比較してみたい。


『「尖閣問題」とは何か』には竹島領有権問題の歴史的経緯は書かれていない

『「尖閣問題」とは何か』には、竹島領有権問題の歴史的経緯が書かれていない。一方、『竹島領有権問題の経緯【第3版】』では、次のような歴史的経緯を、日本側主張と韓国側主張について、それぞれの主張の概要を記載した上で検討を行なっている。

  1. 朝鮮古文献中の于山島
  2. 徳川幕府による開発許可
  3. 幕府の欝陵島への渡海禁止
  4. 竹島一件」
  5. 元禄以降明治までの状況
  6. 島名の混乱
  7. 朝鮮国交際始末内探書(1870年)
  8. 竹島外一島地籍編纂之件(1877年)
  9. 光武4 年勅令第41 号(1900年)
  10. 日本による領土編入(1905年)
  11. 欝島郡守沈興澤の報告書(1906年)
  12. 韓国併合(1910年)

北方領土問題の経緯【第4版】目次)

『「尖閣問題」とは何か』に書かれているのは、第二次世界大戦以降の連合国、特にアメリカの対応のことだけだ。確かに占領時代、マッカーサーラインの設定によって日本(の漁民)は竹島から締めだされたが、マッカーサーラインの設定は、発令当時から「日本国家の管轄権、国際境界線又は漁業権についての最終決定に関する連合国側の政策の表明ではない」とされていた*4わけであり、今日の日韓における領土問題において、マッカーサーラインは、韓国の竹島(不法)占拠の合法性の根拠足りえない。
つまり、竹島問題は、もっぱら日本が竹島を領有するまでの歴史的経緯の問題が重要であり、それを無視した論に妥当性があるとは思えない。


マッカーサーラインの解釈について

『「尖閣問題」とは何か』は、竹島領有の歴史的経緯は無視し、マッカーサーラインについて発令当時から「日本国家の管轄権、国際境界線又は漁業権についての最終決定に関する連合国側の政策の表明ではない」ことを認める一方で、マッカーサーラインの解釈について次のような主張をしている。

ところが、SCAPIN第六七七号や一連のマッカーサー・ラインは、沖縄を日本本土から分離し、千島列島歯舞諸島色丹島」も日本の範囲から除外していたのであり、この処置がサンフランシスコ講和条約第三条と第二条(c)項において「画定」されることになった。だからこそ、千島列島の扱いが問題となった一九五四年一二月、ダレス国務長官はその覚書で、「いわゆる“マッカーサー・ライン”は、歯舞諸島をソ連の領域(ゾーン)の内側に含んでいる」と指摘し、同ラインが事実上の領土画定に至ったとの認識を表明していたのである。(「尖閣問題」とは何か 118p)

そもそも、竹島問題を書いている項で、なぜ北方領土問題が関係するのか理解に苦しむ。またマッカーサーラインが領土を画定させたとの認識は、妥当ではない。
さらに、この説明の根拠として、またもや豊下氏の自著を指し示している。自説であれば、きちんと説明すべきだ。
一方、マッカーサーラインについては、『竹島領有権問題の経緯【第3版】』では、次のようにわざわざ補記しているが、この見解が妥当とおもわれる。

【補記】近年竹島問題を研究しネット上で発信する人々により、①総司令部当局者がSCAPIN-677発令直後に日本政府当局者との会談で“同指令による日本の範囲の決定はなんら領土問題とは関連ない、これは他日講和会議で決定されるべき問題だ”と述べていたこと、②朝鮮半島南半の米軍政府もまた1947年8月の報告書で(マッカーサー・ラインの文脈で)“この島の管轄権の終局的処分は平和条約を待つ”としていたことが確認されている。(北方領土問題の経緯【第4版】8p)

 


慰安婦問題に対する豊下氏のスタンス

慰安婦問題と領土問題が不可分の関係になっているのは、韓国側の事情によるものであって、この2つは本来分離して考えるべきものだが、その件はここではおいておく。
この本の中で慰安婦問題について、豊下氏は次のように書いている。

いずれにせよ、こうした事態から明らかなことは、韓国においては竹島問題と歴史問題がまさに密接不離に結びついている、ということなのである。(「尖閣問題」とは何か 127p)

ところで、以上の経緯から、改めて従軍慰安婦問題が論争の焦点となってきたが、「具体性」を欠いた議論は意味をなさないであろう。(「尖閣問題」とは何か 127p)

いずれにせよ、日韓関係においては今後も、従軍慰安婦問題をめぐって論争が続くであろうが、その際には右に述べたように、具体的な問題を具体的に検証していくことが求められるのである。(「尖閣問題」とは何か 129p)

竹島問題という領土問題については、この本が領土問題を扱った本であるのに関わらず、個別事情を「具体的」に論じておらず、北方領土問題を援用して自説を展開する一方、慰安婦問題では「具体性」のある「具体的な議論」が重要と主張する。
これは、ダブルスタンダードのそしりをうけても仕方ないだろう。


竹島問題のまとめ

本来竹島問題は、その歴史的経緯を具体的に論じるべきだ。
『「尖閣問題」とは何か』では、そのような説明が一切ない。一方で、既に効力を失っているマッカーサーラインに拘るなど、恣意性が高い説明になっている。


第四章のまとめ

第四章は、事実の切り取り方が恣意的であり、読んで信じると捉え方が歪むと思う。
この本ではなく、国立国会図書館調査及び立法考査局がまとめた『北方領土問題の経緯【第4版】』『竹島領有権問題の経緯【第3版】』を読むべきだ。
この2つは無料で読むことができる。



第六章に対する指摘

第六章の要約

日本は対米追従対中追従でない第三の道を考えるべきだ。その方策として軍備を削減し軽武装による自主防衛、外交力を基本とした道を提唱する。
集団安全保障体制に移行することは日本の対米追従を強める。やめるべきだ。
日本のミサイル防衛政策は破綻している。無駄だ。核武装は考えるべきでない。
沖縄はアメリカの軍事戦略に組み込まれているため対中紛争が起これば、真っ先に攻撃をうける。沖縄はアメリカの戦略から離脱し、日米と中韓との橋渡しする独自の外交戦略をとるべきだ。
日米関係を基軸にするのでは展望が開けない。日本は全方位外交を行うべきだ。

第六章は、提言(と呼べるかはともかくとして)中心の章となっている。
その内容の実現性、妥当性には大きな問題を有しているが、その前提として、特に軍事に関する誤認、決め付けなどが多く、その点をここでは指摘したい。


指摘1:核抑止は有力でなくなったのか

『「尖閣問題」とは何か』で、故高坂正堯氏の「海洋国家日本の構想」の評価の中ででてくる一節を引用する。

高坂氏が本論文を執筆した当時は、すでに中国の核実験は時間の問題とされていたのであるが、中国が核保有国となることによって、やがて「アメリカの核の傘は有力でなくなる」という事態が現実の問題として見通されるようになってきたのである。
(「尖閣問題」とは何か 189p)

高坂正堯氏の「海洋国家日本の構想」が書かれたのは1964年、約半世紀前の著作である。中国は文化大革命に入る直前で、中ソ対立が始まり、劉少奇、鄧小平らの経済政策に対して修正主義批判が始まった時期であり、貧しく未発展なのに関わらず、それを無視して中国共産党中枢の権力闘争が激化しはじめていた時期だ。中国は民間の生活向上、経済成長を後回しにし、軍事力、特に核爆弾と大陸間弾道弾(ミサイル)の開発に力をいれていた。
高度成長期で騒がしいが活力にあふれた当時の日本に比べ、軍事力が突出し(厳密に言えば、巨大な陸軍と貧弱な海空軍というアンバランスな軍事力であり、それを補うために核戦力の早期獲得に全力を尽くしていた)、発展の遅れが目立つ中国に対し、この時期から中国の台頭を予測し、次に引用するように、日本のアジアの一部という立ち位置と海洋国家としての性質という二面性の間の葛藤を明らかにした点に、この論文の評価すべき点がある。慧眼だと思う。

中国問題の日本にとっての重要性は、「極西」の国日本のあり方に疑問を投げかけたところにあるのだ。中国の台頭は、日本に再び「極東」の国としての性格を与え始め、それによって、東洋と西洋のアンビバレンス(両面性)という悩みを復活させたのであった。(「海洋国家日本の構想」高坂正堯 212-213p)

(注)「海洋国家日本の構想」は何回か復刻出版されている。この投稿では、今一番入手しやすい「中央クラシックス版」のページ数を記載している。

海洋国家日本の構想 (中公クラシックス)

海洋国家日本の構想 (中公クラシックス)

しかし、一方で、半世紀前の論文を現在に当てはめるには、論文が書かれてから今に至るまでの動き(歴史)と現在の情勢と当時の情勢を比較し補正して考えなくては、現実離れした解釈になろう。
その観点で、核抑止の脆弱化について考える。

核抑止に対する高坂氏の見解については、この論文が書かれた1964年というのが、1962年のキューバ危機の直後であることに注目すべきだろう。キューバ危機は、人類史上最も核戦争に近づいた事件だと記憶されているし、それによりアメリカの核抑止力については、その信頼性が大きく揺らいだ。
高坂氏のこの「アメリカの核の傘は有力でなくなる」という見解は、こういった情勢をうけてのものであると考えるべきだろう。アメリカもソ連も、当時の核兵器保有量はまだ少なく、技術もまだ未熟だった。特に残存性*5に問題があった。
一方、アメリカのケネディ政権の国防長官であったロバート・マクナマラ氏は、この状況を改善するために、「相互確証破壊」という核戦略論(1965年)をたてた。「相互確証破壊」を説明すると、「相手国が核攻撃(第一撃)を行なっても、残存した自国の核兵器で相手国を報復攻撃(第二撃)し、相手を破滅する。この能力を(米ソ)双方で持つことで恐怖の均衡が成立し、核抑止になる」ということだ。これは、元々あった「確証破壊戦略」というアメリカだけが第二撃能力を持つという戦略を、ソ連の核攻撃力の強化とともにアップデートしたものだ。
これは、当時急速に技術開発されたMIRV(複数個別誘導再突入体)や、大陸間弾道弾CEP(半数必中半径)の改善、SLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)の飛行距離が伸び戦略核ミサイル原潜の有効性が高まったことなど、技術面の裏付けがあった。
相互確証破壊は、その後、SDI(戦略防衛構想)などの修正をうけつつも、未だ現在核抑止論の主体たりえている。

たしかに、「相互確証破壊」については、マクナマラ国防長官の時代から現在に至るまで、信頼性に対する批判が繰り返されているが、半世紀近く実際に核抑止が成功した(核戦争が起こらなかった)事実は、軽視すべきでないだろう。

「海洋国家日本の構想」は、未だ価値を持つ、優れた論文だ。しかしその中から、『「尖閣問題」とは何か』が、核抑止論部分を取り出し、それも約半世紀の歴史を踏まえたアップデートもせず、当時の論が今も同じであるがごとくの論調を展開するのは、甚だ疑問だ。
「海洋国家日本の構想」については、こちらのブログ『中国との対し方  高坂正尭著「海洋国家日本の構想」』(【移転済】リアリズムと防衛を学ぶ)の感想の方がよほど自然に思える。


指摘2:必要最小限の軍備とは?

豊下氏は、高坂氏の「海洋国家日本の構想」を高く評価しており、その説明の中で、必要最小限の軍備として「海洋国家日本の構想」から次の文を引用している。

以上の考察を踏まえて高坂氏はより具体的に、まず「日本独自の軍備」については、「現在所有している程度のかなり強力な空軍を持つ。陸軍については、強力な師団は二個師団ほどにとどめ、それは国連軍に転用しうるものとする。他の師団は国土建設隊的性格を強める。海軍については、日本の周囲の海においておこなわれる可能性のあるゲリラ活動を鎮圧しうる程度のものでよい。それは海洋調査をおこないながら獲得できる能力である」と、「陸海空三軍」の然るべき規模と機能を敷衍する。(「尖閣問題」とは何か 193p)*6

これは、約半世紀前の1960年代前半の軍事情勢を分析した主張だ。

この当時、中国海軍は、大型艦として、1954年以降にソ連から受領した「鞍山級駆逐艦」数隻と「ロメオ型潜水艦」数隻、そしてそれをまねて建造した「明型潜水艦」数隻を保有していたにすぎない。
鞍山級駆逐艦もロメオ型潜水艦、明型潜水艦も第二次世界大戦以前の設計を引きずる旧式艦であり、ほとんど脅威とならなかった。
また、渡海作戦能力についても、中国本土から近距離に存在する台湾の金門島の奪取に失敗する(金門砲戦 1958年)など、極めて限定された能力しかもっていなかった。
空軍も、Mig-19ライセンス版である殲撃六型を生産し始めたばかりであり、数は揃いつつあったが性能が明らかに劣っていた。
一方、アメリカ第七艦隊は、中国のみならず、ソ連極東艦隊に対しても、圧倒的な戦力を保持していた。
特に第七艦隊に所属していた空母の航空作戦能力は、突出していた。
この引用箇所は、こういった軍事情勢をうけて書いている。

当時の軍事バランスと、今のそれは全く異なっている。
いくら優れた論文とはいえ、半世紀後の情勢に、その内容をそのままあてはめるのは、あまりに乱暴な議論だと言わざるをえない。

豊下氏は、「海洋国家日本の構想」に関してこのような主張で締めくくっている。

さて問題は、一九七〇年代と今日とを簡単に比較することはできないが、例えばG20(主要二〇ヵ国・地域グループ)に象徴されるように国際政治の構造において、かつてなく多極化(あるいは無極化)が進行し、「友敵関係」は文字通り流動化している今日の情勢であるにもかかわらず、なぜ現実主義者からも保守主義者からも、高坂氏のような「第三の道」の可能性を探るユニークな構想が提起されないのであろうか。この「知的劣化」は、どこから来ているのであろうか。

「知的劣化」?(笑)
少なくとも現実主義者は、今を分析し将来を論じることを志向している。少なくとも約半世紀前の論文に書かれている内容を、情勢の変化を全く省みず現在の情勢にあてはめ論じるような愚を犯したりしない「知的合理性」は有していると思うが?
「海洋国家日本の構想」に関して14ページ(全体の約5%)も割いて論じるのだったら、少なくとも、それを持ちだしてきた豊下氏自身が、人の言を借りるのではなく、「第三の道」を明確に提言するのが筋だろう。それすらせず、他人の責任に転嫁し論を閉じる。まったくこの最後の文は、お笑い以外の何物でもないと思う。

最後に豊下氏が評価している「海洋国家日本の構想」から、一節を引用しておく。なぜかこの一節に対する言及を、豊下氏は『「尖閣問題」とは何か』で、一切していないのだけどね。

もちろん、革命(注、ここでは中国の革命を指す)の挑戦に対して否定的な反応は一切無意味である。とくに、準軍事的な対応が、悲劇的な結果を生むことはこれまでの歴史からあまりにも明らかである。しかし、だからといって、中共は平和的であり、したがって中共と協力さえすればよいと考えることはまちがっている。中共チベットに対する政策は新帝国主義と呼んでさしつかえない。中国が東南アジア諸国をその支配下におこうとすることも考えられないわけではない。力に満ち、活気にあふれた文明はひとつの波なようなものである。それは、同じように力に満ち、活気にあふれた別な波とぶつかるところまで広がって行くであろう。
(「海洋国家日本の構想」216p)

 

その他

その他、第六章は問題が多く、集団的自衛権ミサイル防衛、統合エア・シー・バトル構想などの記述、説明に指摘したい点が残っているが、そういったことを書くと長くなりすぎるし、そもそもこの本は「尖閣問題」について書いていたはずなのだが、議論が全く「尖閣問題」と関係ないものになっていくので、省略したいと思う。*7


第六章のまとめ

尖閣問題の本なのに、なぜこういったことが書かれているのか理解不能なトピックに溢れ、結論に至る論理にも問題が大きい。
そして結論は、本論に書いた通り、現実性に欠ける。
第六章は全く評価できない。

*1:アメリカが、バック・パッシング戦略をとっているという明確な証拠はない。

*2:256p中国の「アクセス阻止/領域拒否」は、「固定化さらた」前方展開基地や特定の地域に限定されたものではない。など

*3:アメリカが沖縄返還時に日中間の反目をビルドインしていたという主張は、極右の日本の独自防衛を主張する強硬派にも共通した認識なのが面白いと思う。(「第二次尖閣戦争」西尾幹二、青木直人著 p70) この本にも根拠は示されていない。

*4:この件は、『「尖閣問題」とは何か』でも認めている。118p。また『竹島領有権問題の経緯【第3版】』にもきちんと記述がある。8p

*5:核の第一撃をうけた際、それを耐え自国の核兵器で相手国を攻撃できる能力

*6:「海洋国家日本の構想」では、243pに同じ記述がある。

*7:指摘事項があまりに多くなりすぎて、書くのが、しんどくなったという点も大きいのだけどね(笑)